2015年4月5日日曜日

映画:「いのちの食べかた」

日々の食卓に登場するお馴染みの食材が、いったいどういう過程を経て「食べ物」として生産されているのかを記録したドキュメンタリーである。

効果音や音楽の挿入などはない、それどころか台詞もナレーションですらないのである、聞こえているのは純粋に現場の音のみ、作業の音や機械の音だったり、ただ淡々と記録された映像を見せている映画。

なので紹介するべきあらすじは無い。

ところがそれが逆に新鮮で、他に気をとられることが無いので記録されている映像とその流れに集中できるのだ、BGMで作為的に印象を操作しようなどということもない。

野菜も人工施設で計画的に栽培されるようになり、数えきれないほどの鶏も、干し草を噛む牛も、子だくさんの豚も食料の原型としてそこに記録されていた。

この映画に現代の食料生産計画に対する異論だとか、肉食は止めましょうなどという意図は無く、ただ単に日々口にしているものがどうやって店頭に並んでいるのかを知らせているだけで、そこからどう思うのかは個々に任された部分なのだと思う。

そんな途中の経過を知っていても何ら役にはたたないかもしれない、でも、知っていれば食べ物のありがたみを思い知るには役立つに違いない。

たとえば豚肉、箸で摘み上げた一切れの肉が硬いだの筋が多くて不味いだのと言う前に、その肉を供してくれた豚は自ら望んで屠畜解体されたわけではないということを意識し、決して粗末にすることなく無駄なく食するということは食物連鎖の下位に属した全ての生き物に対して責任ある正しい姿勢で、自分が元気で暮らせているのはそれらの命のお陰なのだと再認識も可能なはず。

合間に挟まれる現場の従事者の作業や休憩時間の何気ない表情などの様子が、そこでの私達には見慣れぬ作業と工程はそういった仕事を生業としている人々の生活の一端なのだと現実味を帯びさせる、巧みな編集なり。

地味な映画ですが大変強力で、どうにも曲げようも隠しようものない素のままのドキュメンタリーだった。


リンク:「いのちの食べかた」