2014年12月7日日曜日

見知らぬ知人

寝転がって使うのにタブレットがあれば便利だろうなと思うようになった、寒いので早めに布団に入った時の亀のような状態での使用を想像してみる。

iPadmini程度の大きさのものを調べにヨドバシカメラに行った、買う・買わないは別として現状でどんな機種があるのか実機で調べてみたくて。

だが、思ったほど種類はなく、触ってみたいものは別の人が試用中で触れない、試せるようになるまで売り場を散歩していると右肩をポンと叩かれた。

軽くつつかれたといったほうが近いか。

振り向いてみると私より少し背の高い同年代の知らない男がニコニコしながら立っている。

誰だろうかと思えば私がよく行く飲み屋の客なのだという、「お久しぶりです」と言われて誰なのか思い出そうと考えてみる、なんでもその人が福岡へ引っ越したばかりの頃の事で、私とはその飲み屋で2度ほど話をしたことがあったらしいのだが・・・私は全く覚えが無い。

もしや人違いではないのですかと訊けば飲み屋での服装やおおよその日時、周りにいた客の名前が合うので人違いではないもよう、声と話し方からやっぱり間違いないと笑って断言されました。

その人は気軽に使える防水機能のついた簡単操作のデジカメを探しにやって来たのだという、私は各社製品のおおよその名前くらいは知っているが詳細な仕様や性能と機能には残念ながらあまり明るくないので機種選びの手伝いをするまでには至らず、でも2人で手当たり次第に展示品を操作しながらここが良いだの悪いだのと好き勝手なことを言ってしばらく遊んできました。

電器店を離れて自宅までの帰り道、歩きながらさっきの人が誰だったのかを思い出そうとはしてみるのですが、「たぶんあの人か」と覚えがあるような無いような。

結局のところはっきりとは思い出せないままなのだ、確かに話をしたようなところまで思い出しはした、行動範囲が重なっているようなのでまたそのうち会うだろう、電器店でも、飲み屋でも。

2014年11月14日金曜日

恥とごみは置き去りに

ひとつ下の階の住人が引っ越して行った、まだ若く、挨拶をしても決して返事をしなかった女性。

くわえタバコでエレベーターに乗ったり、ごみ出し日を守らなかったり、ベランダでホースの水をじゃぶじゃぶ掛けながら何か洗ったり(階下に水がボタボタ落ちる)でマンションの住人からの評判はすこぶる悪かった。

ある日突然の引っ越し作業は家族か友人であろう数人の男と軽トラックの往復で済ませたらしいとその女性と仲の悪かった隣の住人が言う、エレベーターがあるとはいってもタンスや冷蔵庫といった大きな物を運ぶのにはさぞ骨が折れたことだろうと思う。

それはよいのだが困ったことに非常階段の踊り場に不要品を置き去りにしたままだったのだ、紐で縛った古い雑誌を幾つかと、木製の組立式ラック、そして何に使うのか解らない長いプラスチックの棒が数本と手提げ袋に入った割れた食器、そして何を入れているのかわからないが重たいダンボール箱を2つ。

積まれた雑誌の上に「時間がなくて持って行けなせん、捨ててください、よろしくお願いします」と書かれた紙が貼ってあった・・・と、またもや例の隣の住人が教えてくれた。

よろしくお願いしますと言われても誰も代わりに処分などしない、親しかった人なら考えはするかもしれないけれど。

すぐさま管理会社に連絡し、元住人となったその女性に連絡・・・が取れないので保証人に連絡、市内の端に住むその保証人が渋々後始末をしにやって来たらしい。

別のお隣さんからコルク抜きの話を聞いた、元住人の女性はある日ワインのコルク栓を抜くのにお隣さんからコルク抜きを借りたそうだ、なかなか返しに来ないのでお隣さんが訪ねると返してくれたのだが「これ使いにくいですよ」と言われたとか。

「ありがとうございました」は無し。

ああ、そんな調子なら誰にも好かれないだろう、折角の美人さんが台無し、非常識でとんでもない人である、いったいどんな躾をされてきたのかとただ呆れるばかり。

2014年11月1日土曜日

柿と晩秋


今日という日が秋のどのあたりなのかを知るのにメディアが煽る季節感や模様替えの終わったショーウィンドーに頼るよりも、街路樹の葉の色付きや落ち葉の量を見るほうが秋の深まりを知るには客観的で現実に即していてとても正しい。

夕方に窓から差し込む日の傾きなんかもそう、秋は早いうちから部屋の奥を夕方のように照らす、テレビに晩夏や初冬が紛れていても惑わされることはない。

早い内から昇り始める冬の星座などもまた同じ。

個人的には柿の価格もそう、秋が深まると急に価格を下げ、箱単位を安価で買えるようになるのだ。

またもや今秋もそういう時期がやって来た、今日買ったのは大きさがやや不均一な県内産の柿、見た目はいまひとつながら味は甘くて美味しい富有柿そのもの、1箱23玉入りで600円、出始めの頃なら1玉150円はするというのに。

私の場合、果物と言えばスイカに梨に柿にみかん、この4種類があればもう満足なのだ、高級メロンもマンゴーでもない、好物は九州各地で普通に栽培されているお馴染みの果物たちなのである。

イチゴやリンゴはあまり食べない、嫌いというわけではないのだが好んで食べはしない、なぜだろう。

和歌山県ほどの生産量はありませんが県の南部に産地を抱える福岡は柿の質と量のいずれにおいても恵まれていると思う、杷木町などは収穫の時期になると柿園一帯がまさに柿色で明るくなる。

なので近くの道の駅などでは大きさ別、個数別でたくさん売られていて、それを目当てにやって来る客で結構な賑わいなのだ。

今日は600円で買えたこの柿、もう一歩値が下がると1コインで買えるようになるはず、不作の年はそこまで落ちませんが。

画像を撮って載せたところで気がついたのだが、23個中に1個だけヘタをこちらに向けているものがある、天邪鬼なのだろう、これだけは渋柿かもしれぬ(笑)。

県内産の柿の流通が減り、ついにはあまり見掛けぬようになると季節はいよいよ晩秋から初冬へ。

そんな曖昧な季節の分け目を柿の価格で知るのです。

2014年10月13日月曜日

高級な石鹸

部屋に友人が遊びにやって来た、事前に夕食を部屋で一緒に食べようと連絡が入っていた、用意はしなくていいとも言っていたのでテレビを見ながら待っていたら、デパートの地下で買った唐揚げとミニ弁当とざる豆腐、そして発泡酒の入った袋を手に提げてやって来た。

部屋に入れてみるとやたら顔がテカテカとしていて全体的にタバコ臭い、顔でも洗うかと訊けばシャワーを貸してくれと言う、仕事帰りの服装で洗えるものは全て洗濯機に放り込み、シャワーから出てくれば乾燥機が止まるまでは当座の間に合わせで私のを何でも着てもらった。

買ってきてくれたものを器に移すなり並べるなりしていたらスッキリしたとシャワーから戻ってきた、そこで一言「あの石鹸いいね」。

顔や頭の脂が一発で落ちたというのだ。

私はシャンプーやリンスといったものは使わない、お中元や業者からの試供品で貰った石鹸がたくさんあるのでそれを使って全身洗うのだ、もちろん坊主頭も。

今使っているのはお馴染みの牛のマークの赤箱、使えば手にも頭にも香りはそれなりに残る、が、友人は何も香らない。

不思議に思いつつ冷凍庫で冷やしておいたグラスを取り出して発泡酒をついでいた時にパッと気が付いた。

友人は風呂場に置いてある洗濯石鹸を使ったのだ、訊けば2種類あるけど隅に置いてあった使いかけで普通の石鹸と同じくらいの大きさになっていた洗濯用のを使ってしまったらしい。

洗濯石鹸だと気付かなかったのか、ああ、先に言っておけばよかった。

浴用のものとは違ってアルカリ助剤が入っているので脂汚れにはとことん強い、なるほど、それを使えばテカテカも一発で落ちてしまうはずだ、高級な石鹸の正体は1個120円くらいの洗濯石鹸なのだ。

あれは洗濯用のだったと言ったら「へえ〜」で終わった、ちゃんとすすいだということなのでそれで良し(笑)。

さて、そろそろ乾燥機も止まる頃だが、友人は空きっ腹に飲んだ発泡酒のせいで赤い顔で転寝しています。

自然に目が覚めるまでこのまま放っておこう。

2014年10月8日水曜日

次回は来年の春


しばらくぶりの皆既月食は、福岡からも晴れて乾いた夜空にはっきりと観測できた。

眼鏡越しに見た月はもっと微妙な色合いが楽しめたけれど、窓辺からコンデジで粘った成果はいまひとつ。

大きく撮りたいのでズームをかければブレて難しい、ベランダの手摺に両肘を固定して粘った何度目かでなんとなく程度に撮れた。

それでも今日の記録としてはこれでも充分なので良しとしておこう。

2014年8月21日木曜日

最後のQ33


正式な商品名は「MDR-Q33SL」、ソニーの廉価で日本製の耳掛け型ヘッドフォン。

最初に1本買い、音が良かったので追加で2本買い、販売終了後に「もう1本買っておけばよかった」と思っていたところに新品をオークションで見つけて落札購入、結局全部で4本手に入れたことになる。

昨日、3本目の左側のユニットを破損してしまったせいでとうとう残る最後の1本の出番となってしまった、布編みのようなケーブルは柔軟性があり使い勝手は良いものの、もしかするとイヤードライブ側で断線が起きやすい構造なのかもしれない、その点に注意し大事に使わねば。

インナーイヤー型ヘッドフォンが全盛の今は耳掛け型そのものがマイナーな部類で、しかも耳掛け型の中でも無骨なデザインなので街では「おや?」という目で見られることもたまにはある、が、それは構わない(笑)。

周りの音が聞こえるので雑踏の中でも危なさを感じることはそれほど(全く?)無くく、逆を言えば音漏れが激しいので人の多い場所では音量を絞るか、いっそ使用しないかに努める必要はありますが。

カーンと立ち上がる乾いた締りのあるスッキリとしたこの音が好き。

マイケル・ジャクソンの「Black or White」の冒頭の部分、ドアを強く叩く音に「自分の部屋か!?」とギョッとしたこともある、懐かしい。

音のマニアにとってはチープなドンシャリ音らしい、だけど、個人的にはこの機種以降、これに代わるものは未だ登場していないのだ、同クラス帯であればKOSSというメーカーのものに良いものはあるにはある。

ただし、ややサイズが大きい、もう少しコンパクトなら良いのだが。

ところで、手頃なこのあたりの価格帯に日本製のヘッドフォンとはあるのだろうか、ソニーのこういった商品もこれ以降は中国製や韓国製だったりで日本製は無さそう、オーディオテクニカやパナソニックも海外生産品のようだし。

円安で海外製造のメリットが薄くなっているだろうから、こういった商品も国内回帰で日本製に戻って欲しいと思う。

2014年8月16日土曜日

「こわい」

昔と違ってテレビから夏の怪談番組がめっきり減った、ドキュメント風なもの、語り部調、映画の類まで軒並みである。

減った理由は様々ではあると思うが、怪談好きの一人としては寂しい限り。

夏休みには昼のバラエティ番組でも毎週のように怖かったり不思議な話の放送をしていたが、今はお笑いタレントによるよくわからない番組だけになってしまった。

意外なことにNHKが面白い特別番組を放送することがある、たとえば2年続けて盆の頃に放送した語り部形式の「日本怪談百物語」や小泉八雲についての番組、オムニバス形式のドラマ「おそろし ~三島屋変調百物語」(放送予定)など。

私は、NHKには怪談ネタが好きな人がいるのだと思っている(笑)。

特に最初に挙げた日本怪談百物語は秀逸だった、CG満載の映像で見せるのではない、語り部の読む演技力のみの勝負で、同じ話を聞いても頭に思い描く怖い光景は人それぞれだと思う。

だが、そういった場合、誰しも意識することなく仕入れた話の筋に自分が最も怖いと思う光景を絡めるように自分で思い描いてしまうものなのだ、なので話だけを聞いて怖さにおののくというのは内側から湧き上がる怖さなのである、これは映像で見せられるよりも長く尾を引く。

子供の頃の、見つめる静かな闇夜の奥に見えてはいけない異界のものが見えてきそうな思いに足が竦むような怖さは自分自身の情操教育に役だっていたはずだと今では思う。

あの闇夜から連想や想像する怖さの対象は、どうにも抗えない自然への畏怖の念に重なるものがあり、今に至るまでその思いは崩れぬままなのである。

子供には奥底の欠片すら見えぬ溺れ沈みそうな暗闇の怖さを教えてあげて欲しい、形を成さぬ概念だけにしろ「こわい」という感覚を養って欲しい。

目に見えるものや直に触れることができるものしか信用しない子供が増えた今、もっと視野を広げ、感性豊かな人として成長してくれればと思っているのだ。

そして、願わくば大人になった時に、己が暗闇の怖さに震え、自然と自分との距離を知った時のように後世を担う子供らに「こわい」という感覚を教えて欲しいのだ。

2014年8月11日月曜日

雲の上のスーパームーン


撮れるものならと待ち構えていた午前0時10分過ぎ、カメラを手にベランダに出て南の空を探して・・・みるまでもなく手摺りが雨で濡れているのを確認、腕を伸ばせば生ぬるそうな雨粒がポツリと肌に当たる。

空は街の明るさに照らされて低く濁っていて最接近のスーパームーンは撮れず仕舞いだった。

雲に隠れて見えないけれど今夜はいつもより大きく明るい月がある、地味ながら潮の満ち干きにも影響しているのだ、距離が近いのだから作用する引力だって強くなるからである。

確か2011年のイギリスで数隻の船が座礁した事故はスーパームーンの影響だと言われていたが実のところどうなのだろう、直接的には僅かでも、地形なり潮の流れなりのせいで影響は大きくなったのかもしれない、結局のところ座礁事故との因果関係ははっきりしてないままなのだけれど。

津波を起こすような地震との関連があると主張する人もいる、これも因果関係ははっきりしない。

最接近ではないものの、なるべく距離の近い月を狙って明日の、たとえば午後8時15分はどうだろう、既に3800kmほど遠ざかってはいるけれど晴れていれば高度の低い赤みを帯びた大きな十六夜が撮れるかもしれない。

もし、撮れたなら、また皆さんにお裾分け。

ちなみに次回のスーパームーンは2015年9月28日で今年よりもまだ接近、さらにその次は2016年11月14日で2015年よりももっと接近、2011年の最接近よりも近いのだ、楽しみである。


(追記)

午前1時40分頃に月が見えてきたので雲を透かして1枚パチリ。

太古の昔は目視で山のような大きな月が晴れた夜空に昇っていたそうだ、今よりも近い場所にあったので確かにそうだろう、地球にはまだ初期の生物しかいなくて、1日が10時間くらいだった頃の話ですが。

月は年に3cmだっただろうか、遠ざかっているそうな、今の距離考えると気が遠くなる。


(さらに追記)

午前3時20分、きれいに晴れていたので更に1枚パチリ。

では仕事に行ってきます。

2014年8月8日金曜日

ナマズさん

今朝、仕事が一段落して一息ついている時に業者の人と話をしていたら「俺が仕事終わって家に帰る頃に子供が目を覚まして起きてくる」と言い、その小学生の子供が「夜遅くまでゲームしている、夏休みなのでだらけている」と続ける。

「朝のラジオ体操は?」と訊けば、「それはもうずっとやっていない(町内で)」とのこと。

子供の数が減った今でもてっきり続いているのだと思っていたら、もうやめてしまった所も多いようで。

ずっと昔の夏休みの朝、寝惚けたままラジオ体操に出てきて小さな用紙にハンコを貰っていた自分の小学生当時を思い出す、町内でも何ヶ所かに分けてでないと無理なほど近所に子供が多かった頃のこと。

たまに夜更しして出て来ない子には「ナマズさんが出てくるぞ」と近所の同年代の子らが脅かすこともあった。

行儀が悪かったり、悪戯をしたり、親の言いつけを守らない子には夜に鰯町(いわしまち)の川岸から這い上がってきたナマズの化物に祟られるという子供の間だけの怖い話、その姿は悪い子にしか見えず、見てしまうと熱が出て数日寝込むのだと言う。

斜向いのお宅の子犬に絵の具で落書きをした町内の子は、翌日に夏風邪らしく寝込んだ際に「犬に悪戯をしたから」と理由を口にし、夜に窓から自分を覗き込むナマズさんの姿を見たと言い、そう信じていた。

誰が最初に思いついたのかも分からぬ話だけど子供を恐怖心で縛るには効果満点だった。

当時ですら既に無い町名「鰯町」を使っているところからナマズさんの話は更に相当古いものだと思う、面白いことに隣町の子は同じ話を知っているけれど、そのまた隣町ではほとんど知られていないという点。

今だからこそ那珂川の汽水域から這い上がり、世の不届き者を睨みつけてくれれば・・・と思うこともある。

先にも書いた通り「鰯町」という名の町はもう存在しない、那珂川の河口近くの東側で、今の大黒橋の袂からの須崎町で、那珂川に面していた狭い町だったらしい。

その町名を知る人はもうほとんどいないでしょうけど。

2014年8月7日木曜日

立秋と夕立



この夏、福岡は昨年ほどの暑い夏にはならなかった、雨が多く、抜けるような快晴だった日は覚えているのは7月も終わりがけの1日だけ。

日本全域で見ても暑さは小笠原気団に覆われて晴れの日差しで・・・というよりも、台風へ遠回りで流れ込む南風のフェーンのせいだった地点のほうが多かったはず。

近づく台風と、しつこく居座る前線のせいで雲に覆われる日が目立ち、そうこうしている内に暦は秋を迎えてしまった。

それなりの暑さは何度も「残暑」という名に化けて戻っては来るけれど。

そして今日の天気図、晩夏に接近し遠ざかれば初秋を肌で感じさせるような台風混じりのそれである。

飯塚や粕屋では夕立で一気に涼しくなったと言う、日が傾き始めてからの篠突く雨、輻射熱も失せて気温は低めで、だけど湿度が高そうで、今夜は軽めの除湿運転向きの夜になるだろう。

そんな暑くない夏だったのが電気料金の明細にも出ている、使用料がなんと前年比で20%ほども少なかったのだ、確かにエアコンを使う回数と時間が少なかったなと思う、夜など扇風機で充分だった日が続いたし。

昨年はフル稼働状態だったというのに。

さて、天気図の台風11号、アジア名を「ハーロン」と言う、台風委員会に加盟している14カ国がそれぞれ10の名前を用意し、それを順に並べ、1つ発生するごとに名前も1つ進めて名付けるというシステム。

14カ国*名前10個=全部で140の名前。

今回はそうやって用意された140の名前のうちの56番目で「ハーロン」(ベトナムが名付けた)、次の12号が発生すれば名前の順も1つ進んで57番目で「ナクリー」(カンボジアが名付けた)となる仕組み。

以後、13号なら「フンシェン」(中国)、14号なら「カルマエギ」(北朝鮮)・・・と続く。

140全部使いきったらどうなるか・・・、また最初に戻るのである、ちなみに「ハーロン」は湾の名前だそうで、知らなかった。

日本が準備した名前はなぜだか全て星座の名前のようで、89番目には「コップ」などというものがある、「コップ座」というのがあるのか(!)、それも知らなかった。

2014年7月30日水曜日

わさびよりも生姜

鍋にお湯を沸かし、片や急冷用の氷水を用意、小皿に小葱と下ろし生姜も用意したのは全て夕食の素麺のため。

こんな暑い日は手の込んだものなど面倒くさくて何も作りたくない、暑さだけでなんとなく疲れてしまうのだ、なので今日は手間のかかりそうなもや油ギトギトなしつこそうなものは避けて簡単に済ませます。

友人で素麺には生姜という人は少ない、ほとんどわさびなのである、もちろんわさびも美味しいのですが、私は生姜そのものが好きなので素麺にも欠かせない。

生姜の消費量はかなりのもの、煮物(青魚やレバー)には特によく合う、これを読んでいる方々もよくご存知のはず。

鶏の唐揚げ用の下ごしらえにも欠かせない。

あんまり好きなので冷奴や焼肉にたっぷり添えて食べたら・・・お腹を壊したことがある、意外と刺激が強そうで腹も驚いたのであろう、それ以来ほどほどにしている、まあ、これを読んでいる方々は腹を壊すようなそんな食べ方などしないであろうが。

さて、その「素麺」、隠れた美味しい組み合わせでは麺つゆに梅干やラッキョウの甘酢(ほんの少量)入れてみるという食べ方がある、たまに行く食堂のおばちゃんが教えてくれたのだ、友人にはタバスコを1滴垂らすと美味しくなると言う人もいる。

麺にメカブやオクラを乗せ、そこへ麺つゆを直にかけるという食べ方もなかなか美味しいもので、ヌルヌルが麺によくからんで食欲が無い時でもスルっと入る。

ごま油で手早く炒めるというのも焼きビーフンっぽくて美味しい、味付けはシンプルに塩とコショウ、具は細く切ったキャベツでも豚肉でも水っぽくならないのであればなんでも好きなものを。

ただし、焦げ付きやすいのでテフロン加工のフライパンが吉。

うだるような暑さで少しばかり疲れてしまい、今日は素麺と、鶏のササミと豆腐とシメジの煮物、それとキュウリと生姜の即席漬け(塩モミして絞っただけ)とであっさりとした夕食を済ませた。

ごちそうさまでした、明日も暑いのだろうか。

2014年7月7日月曜日

消えぬ雫あと


畳んだ傘から勢い良く雫がボタボタと落ちる、その傘を玄関あたりの壁に立てかければ雫はコンクリートの通路を伝い、細い水の筋となり緩い傾斜に沿って排水口へと伸びて行った。

それが正午少し前のこと。

数時間後の夕方、傘の水気も切れた頃かと玄関内に入れようと手にしてみれば・・・まったく乾いていない、それどころか通路に伸びた水の筋は濡れたまま残っているではないか。

首回りや手のひらに纏わりつくようなこのじっとりとした湿気、湿度が高くて何もかも乾きようがないのだ、晴れていれば手洗い後に残った手の甲の水玉などよそ見をしている内に風に拐われてしまうというのに。

こんな日、実家では狭い庭の花壇にナメクジが出てくる、普段は花壇の縁のブロックあたりに潜んでいて、雨が続くと縁側近くにまでやってくる、ヘビやクモは平気で触れるのだがミミズやナメクジ、コウガイビルなどは気持ち悪くて無理である、あの粘液っぽいヌルヌルした感じが変な病原菌を持っていそうで嫌なのだ。

まあ、そんなもの好きで触る人など滅多にいないだろうけど。

雨続きで洗濯もなかなか思うようにならない、室内は外より若干温度が高いぶん逆に湿度はいくらか低いので風さえ回してあげれば洗濯物でもほとんど(完全ではない)乾かせる、残りの湿り気は乾燥機で力任せの仕上げ運転か。

そんな夕方は日没間際に数分だけ日差しが差し込んだ台所の窓辺、オレンジ色の夕陽で室内がパッと明るくなったひととき、日差しを手のひらに当ててみたのは何日ぶりだろう?

本当にわずか数分だけのことだった(1日でいいからすっきり晴れて欲しい)。

数日後に大型で強い台風が日本列島に沿って駆け抜けようとしているらしい、計算方法の違う2通りの進路予想は九州本土か本州への上陸を予想していて外れようがなくなってしまったのかもしれない。

先立って南西諸島は厳戒態勢なのだとか、シケの予想は波の高さで10mになるという、大きな被害が出ませんように、どうかご用心を。>皆様

2014年6月11日水曜日

白い吐息

早朝、仕事へ行く途中、那珂川を渡る橋の上では微風ながら川面に沿って博多湾から風がひたひたと入っていた、今朝の気温はとうとう20度を割らぬまま、梅雨時の低い雲の下で湿度が高いせいで歩く度に両肩のあたりで服が纏わり付く。

まさか寒いなどということはなく、動いていれば蒸し暑さすら感じるというのに己の吐息が街灯を逆行にした時に白く現れるのを確認、湿度が飽和しているのだ。

太平洋を渡って吹き寄せる南風が弱い時に起きる梅雨時の現象で、こういった梅雨を凌いだ夏は何故だか夜行性の虫が少ないのを経験則で承知している、夜の明るい窓辺に集まる数も若干減るはず。

虫嫌いな人にとっては嬉しい話だろう。

そういえばあと10日経てば夏至を迎え、この北半球では太陽が北回帰線に達する、・・・もうそんな季節だとは、早いなあと思う。

仕事場に着いて氷を入れた水を飲む、コップを置いてものの数分でびっしょりと結露していた、水がぬるくなるのも早い。

肌着代わりのTシャツでさえ湿気で肌に纏わりつくようで気持ちが悪かった。

昼になれば気温も上がって蒸し暑さが増すだろう、こういう日はさっぱりした食べ物が好まれるのが分かっている、これも経験則。

小鉢用に「あちゃら漬け」を用意した、昆布のだし汁に酢や砂糖と塩を足して煮立たせ、冷ました中に準備した野菜を入れておくだけの即席漬けのようなもの。

なんという簡単さ、一応博多の郷土料理ではある、名前の由来はポルトガル語らしい、そういえば博多の祭り「どんたく」はオランダ語だという、なぜ遠い国からの言葉が若干形を変えつつも定着したのだろう、どんな縁があったのか不思議である。

今日の野菜は湯通ししたレンコンに人参と大根、そして塩もみしたキュウリ、香り付けのショウガ、これだけ。

プチトマトやナスでも美味しい、オクラだってそう、今まで漬けて失敗だなと思ったものはいも類ぐらいか、里いもやじゃがいも、これはまずかった。

じっとりした季節には酸っぱいものが美味しい、気分もさっぱりするのだ。

2014年5月13日火曜日

夢で逢いましょう

JRというよりも昔の国鉄の・・・といった趣の駅前を眺めていると、通りの向かいの小さな店で買ったソフトクリームをひとつずつ両手に持ち、幅の狭い一方通行の車道を渡って笑いながら友人が早足でやって来た。

ここのところメールでしか連絡をとっていなかった人なのに今日はこうやっていい歳をした中年2人で駅前にいる。

やや暑く、地面の照り返しが目にしみるほど眩しい晴れの日で、どこからか鉄を削るような焼ける匂いが漂ってくる、そういう音は聞こえないけれど。

差し出された片方のソフトクリームを受け取り、駅舎の軒に沿って並んで歩き始めたところで、つい先程まで私の近くにいた背の高い見知らぬ男が「次ですよ」とはっきりとそう言ったのだ。

2人とも後ろを振り返った、一瞬私に言ったのかと思ったが友人にだったらしい、でも友人はすかさず「まだです」と男に返した、面識のある人なのだろうか? 「次ですよ」と言われて「まだです」と返せるのは何の話なのかを解っているからである、何度か男と友人の顔を交互に見て、そしてまた並んで歩き始めた。

そこで友人に「次って何だ」と訊けば、溶け始めたソフトクリームを気にしながらも答えようとしたところへ徐々に音を大きくしながら先程の一方通行の車道を救急車が通り過ぎて行く、音も車体の照り返しの輝きも非常にシャープで、あまりにも音が大きくなったことに驚いて・・・目がさめた。

夢だったのだ。

まだ表は暗い、テレビで夜更かしのまま眠ってしまっていた、近所の大通りを救急車がサイレンを鳴らしながら通って行く、途中でスピードを落としたのかなかなか遠ざからず大きく長く聞こえていた。

またしても夢の中の出来事と現実がシンクロして夢が途切れてしまった、そもそも普段だと見た夢など内容はほとんど覚えていないのに、いきなり目がさめると覚えていることもある、今日のがそうだ。

二度寝をすると忘れてしまいそうなので、目が冴えている今のうちにこうやって書き残しておくことにする。

「次って何だ」の答えを聞く前に目がさめてしまったのがなんとなく惜しい、それが何なのかを知りたい、だけど、それよりも笑いながらソフトクリームをくれた友人に会いたいのだ、1歳ちょっと年上だった彼に私は年齢で追いついてしまった、夢の中では笑う顔も声も、バイクの鍵に付けてあるキーホルダーの輪に人差し指を挿してクルクル回す癖だってよく知っているあのままなのだ、それなのにどうしてそんなに早く亡くなってしまったのだと時が経つにつれ寂しさが増してくる。

若くして他界した人を「逝くには早過ぎる」と言われることはよくあること、今まではそう言う気持ちは理解できていてもどこか他人事だと捉えていたが、この友人の件については痛切に我が身のこととしてそれを感じるのだ、あまりにも早過ぎる。

今年は初盆ではないか、私は死後の世界など無いと思っている、火葬されれば水蒸気と煙と灰になって終わるだけだと信じている、それなのに彼に限ってはいわゆる「あの世」で楽しく過ごしていて欲しいと願っている。

私は仕事と人に疲れた晩年の彼を見てきた、だからこそ笑って楽しく過ごしていて欲しい。

今は何をしているだろう? 彼と並んで笑って話せるのは目ざめた時に覚えているかどうかわからぬ夢の中だけになってしまったけれど。

そう、いつかまた夢の中に現れて、他愛もない話で笑い、はっと夢からさめて、私はまた寂しい思いをするのだと思う。

2014年4月26日土曜日

4時48分の地球照


今朝の月は有明月、そろそろ夜が明けようかという時刻からぼんやり赤く昇ってくる月だった。

近くに明るい金星を御共に昇るその月をカメラ片手に狙ったのは地球照を撮らんがため、珍しくもないその現象のくせに、雲や睡魔に負けて最近お目にかかっていませんでした。

とはいえ昇り始めは月の光が通過する大気が分厚くて地球照までは見えにくい、充分に高度を上げるまで待てば太陽に追われて月は明るさを失い地球照は到底見えない。

そこで4時48分、高度と薄明のバランスをとってその時刻に決めました。

画像をよく見たところで・・・見えないかもしれない(汗)、それでも地球照と金星をお裾分け。

考えてみると月の明るい部分は太陽の光が月を照らし、その反射が地球に届いている、ぼんやりとした地球照の部分は太陽の光が地球を照らし、その反射が月を照らし、そのまた反射が地球に届いていることになる。

ということは、明るく輝いている部分は、地球照の部分よりも1.3秒ほど先に移動して見えているということになるのだろうか、明るい部分は月→地球へ光が届く時間の1.3秒、地球照の部分は地球→月でまず1.3秒、その反射の月→地球で更に1.3秒、合計2.6秒かかるので。

その差は1.3秒ということなのか、ああ、ややこしい。

あんなに遠い月なのに光だと僅か1.3秒で行ける、一方の太陽は8分19秒、桁違いに遠い。

一番身近な月を見ていると、この太陽系の広さが見えてくる、その太陽系を考えていると銀河系の広さに気が遠くなる、銀河系を考えていると隣のアンドロメダ銀河までもが途方もないことに気がつく。

今朝はこうやって月を見て楽しんでいたけれど、遥か先ではどうなっているだろう、太陽にも寿命があるので地球だっていずれは生物のいない星となる、それどころかこの銀河系は隣のアンドロメダ銀河と猛烈なスピードで接近しているのでいつかはひとつに混ざり合ってしまう、その頃人類はどうしているだろう。

数十億年は先の話なのでやっぱり気が遠くなるけれど。

2014年4月8日火曜日

色黒ずんぐり毛深い熊さん

昼に実家の玄関を開けたままで靴の手入れをしていると「ブーン」と左上から重そうな太い羽音がする。

春になると玄関の天井付近にある通風口から巣作りに入ってくるスズバチ(スズメバチではない)が帰ってきたのかと見上げてみれば似ても似つかぬずんぐりとした太い蜂がいました、大きな黒い目とオレンジ色の毛がアクセント、気は優しくて力持ちの「クマバチ」だった。

それは行儀の良いクマバチで、玄関の入り口で静止し羽音を響かせるだけで中には入って来ない、オヤジが靴磨きするのが面白くて見物していたのか、そこでホバリングしたままなのである。

2度ほど後退りするような感じで動いたかと思ったらそのままスッと飛び去って行った。
昼に実家の玄関を開けたままで靴の手入れをしていると「ブーン」と左上から重そうな太い羽音がする。

春になると玄関の天井付近にある通風口から巣作りに入ってくるスズバチ(スズメバチではない)が帰ってきたのかと見上げてみれば似ても似つかぬずんぐりとした太い蜂がいました、大きな黒い目とオレンジ色の毛がアクセント、気は優しくて力持ちの「クマバチ」だった。

それは行儀の良いクマバチで、玄関の入り口で静止し羽音を響かせるだけで中には入って来ない、オヤジが靴磨きするのが面白くて見物していたのか、そこでホバリングしたままなのである。

2度ほど後退りするような感じで動いたかと思ったらそのままスッと飛び去って行った。

見た目は大きくて怖いけれど、実はミツバチに劣らぬほど大人しく優しいのだ、ふいに寄って来るのはオスが別のオスに警戒しているせいで、縄張りに入ってきたオスではないと分かればすぐに立ち去る、滅多に人を刺したりもしない。

ちなみに刺すのは針を持ったメスだけ、オスは手のひらに乗せてもなにもしない、このハチは他の虫を襲って狩りをする狩りバチではなく、花の蜜を吸う蜜バチなのだ。

私はこのクマバチのオスを見るとよくアメリカのバイク乗りを連想してしまう、ずんぐりと肉付きのよい髭面の男がヘルメットを被りにサングラスを掛けてバイクに乗っている姿、あれなのだ(笑)。

春に蜜欲しさに花から花へと忙しいクマバチに遭遇しても、無碍に叩き落として殺したりしませんように。>皆様

・・・と、この日記を書いている現在、いつも夜に聞くFMラジオの番組の話題は偶然にもクマバチだった。

うちの実家にはハチが何種類かやって来る、常連は冒頭でも書いた通りのスズバチ、他は営巣場所でも探しているのかアシバガバチ、それに迷い込んでスズメバチ(危ないので叩き落す)。

クマバチがうちにやって来たのは今日が初めてのような気がする、このハチなら常連化してもらっても構わない、歓迎するのだが。

2014年4月1日火曜日

うっすら日焼け


昨日の天気予報で言われたようなPM2.5の影響などまるで冗談だったかのよう、それくらい空が青かった今日は午前中から地下鉄で天神へ出掛けた。

ビックカメラにロフトにインキューブ、だけど買ったものは小さな手提げに1つぶん、帰り間際にベーカリーに寄るので手提げはもう1つ増えはするけどその程度。

ビルとビルの間の移動で地下を歩き回って疲れたところで地上に上がり、コンビニで買った冷えた飲み物片手に福岡市役所前広場でしばしぼんやり、ここには誰でも使えるテーブルに椅子もある、ほどなく太陽が子午線を越えようかという時刻なので周りで既に昼食をとっている人や、これから食べようと買ってきたサンドイッチや弁当を広げる人も何人かいる。

目の前が開けていて、足元に広がる人工芝では子供が寝転がって遊んでいる、お昼を過ごすには家族連れだろうがサラリーマンだろうがちょうど良い。

そうやって男女問わずいろんな年代の人たちが混ざって自由に休息できる場所というのは良いものだと思う、なんだか見ていてホッとするのだ。

今日は気温が上がって長袖で歩きまわるにはやや暑い、袖をめくっている人もいれば、脱いだ上着を腕に掛けている人もいる、そのせいかいろんな半袖君が地下街やビルの中にいた。

日陰に座っていると乾いた西寄りの風が袖口に涼しくて心地良い、聞こえてくる人の話し声や車の音が大きくなくボソボソ程度に耳に届いてくる、全くの無音は逆に気になって目が冴えてしまうが、今日のそこでは適度だったので・・・なんだか眠くなってしまった。

太陽は先月末で既に高度60度を越えていてかなりの高さ、日差しに晒された手首から先が心なしかうっすらと日焼けしたようにも見える。

明日も晴れの予報が出ているようで乾いた晴天が期待できそう、個人的には今の季節のこれくらいの陽気が爽やかで一番快適だなと思う。

この心地よさはせいぜい初夏までで、すぐ後には蒸し暑さがやってくるのでそう長くは続かないのが残念だけれど。

2014年2月23日日曜日

似たような話

昨晩の食事会に参加した内の1人は実家が隣の県だという2歳年下の人、次回の食事会はきっと暑い時期だし、その友人の実家からそう遠くないきれいな浜辺にしようか。

・・・などと、今日の昼過ぎに吉塚のホームセンターでカートを押しながら一緒に買い物をしながらの途中で話していると、昼間ならいいけど夕方からは気味が悪いからダメだと言う。

その海水浴場には幽霊が出るという噂があるのだ、一頃、その話が拡がってしまい、海水浴客がやや減ってしまったことすらあるらしい、だから今では地元の人はその話をあまりしたがらないのだという。

その噂とは日が暮れると沖から誰かが声を掛けるのだそうで、もっぱらそれは波打ち際に寄って来た人の名前を呼ぶのだと。

同じような話は他所にもある、いつだったかmixi日記にも書いたことがあるけれど、子供の頃の夏休みに友人の祖母宅へ泊りがけでお邪魔した際、日が暮れてからそのすぐ近くの浜辺に花火をしに行こうとした時に注意されたことがあったらしい、「誰かに名前を呼ばれたような気がするかもしれない、だけどそちらへは行かず、水に足は浸けてはいけない」・・・と。

結局、そんな事は起きませんでしたが、そう注意しなくてはならない背景が実に怖い。

九州南部の某地方にも似たような話があると聞いた気がする、きっと九州に限らず、全国何処にでも・・・。

海の危険さについての戒めなのかもしれない、幽霊や物の怪の怖さを借りて、そう教えているのだと思う。

そんなものはいないと思いつつも、さり気なく言われると妙に頭に残って幾つになっても何かの拍子にふと思い出してしまうものです。

その話をすると友人は似たような話はどこにでもあるものだなと笑って言う。

清算を済ませてホームセンターを出ればいつの間にか雨、予報よりやや遅れたものの、傘が必要なほどしっかりと降っているではないか。

そんな予報を知っていたので晴れていればと考えていた観梅は中止、その友人と一緒に昼食と買い物で幽霊の出ない日曜の昼間を過ごしていました。

2014年1月25日土曜日

マスク

狭い空間や人ごみが苦手な人には拷問のような週末午後の天神地下街。

地下鉄天神駅からの南側へは特にそう、談笑しながら並んで歩く学生風の2人を他の通行人となるべくぶつからぬよう足早に追い越し、ショーウィンドー側に沿って前へ前へ。

その人ごみの中に紛れて曲がった先は三越の地階、目指す店は入ってすぐのジョアンというベーカリー、いつ行っても客(なぜかほとんど女性)が多い。

自分用と頼まれもののパンを幾つか買い、人の熱気でムッとした地階から地上へ出ようとエスカレーターに乗った、目の前にはご婦人と高校生くらいの娘さんらしき人。

・・・と、そのご婦人は自分のマスクを下へずらし、控えめにくしゃみを1回、そしてもう1回。

「えー、お母さんそれなんか違うー」と、やはり娘さんだった人が言う、そう、マスクの使い方は娘さんのほうがちゃんと理解しているようだった。

インフルエンザの流行りようも相変わらずで、そろそろピークを迎える頃だろうか。

街の中にはマスクをつけた人が多い、インフエンザの流行を弱める効果はかなり大きいらしい、ただし、それは正しく使えば・・・の話。

今やマスクも多種多様、ただ宣伝文句には懐疑的、本当にそこまで効果があるのか?

・・・と、「99%ブロック」などをつい疑ってしまう悪い癖(笑)。

個人的に効果がありそうだなと思っているのは濡れたシートを挟み込むタイプ、詳しい構造はわからないが濡れていると汚れをたくさん吸着してくれそう・・・な気がするのだけれど。

二酸化塩素を使う空間除菌なゲルというのもある、先発メーカーの品が品薄なせいか似たような後発メーカーの商品をドラッグストアで見かけた、だが、これについても懐疑的、徐々に塩素ガスが出てくるというのは臭そうだし体にも悪そう、うちでは使うことはないだろうなと思う。

結局、人ごみを避ける、部屋の換気をよくする、湿度をあげて暖かくするといった昔ながらの対処法が安心安全確実なのではなかろうか。