2009年9月29日火曜日

藪の中

つい最近になって届いた映画監督のロマン・ポランスキーについてのニュース。

チューリッヒの空港で逮捕され身柄を拘束されたというのだ、容疑は30年以上前のアメリカでの少女に対する淫行行為疑惑。

この話は事件当時に日本でもゴシップ扱いで話題になったのでよく覚えている。

ですが、ポランスキーと言えば少女淫行疑惑のそれよりも、まだずっと昔に起きた2番目の妻がカルト教団のメンバーに惨殺されたという「シャロン・テート事件」のほうがより衝撃だった、恐ろしい事件である。

真実の部分に、憶測とデマが入り交じって世間を騒がせた事件だった、今でもいろんな謎が解決されぬままで人々の関心を集めている。

シャロン・テート事件の詳細についてはここには長くなって纏めきれなくなるので書かない、もし知りたければ検索して欲しい。

ただし、凄惨な事件だったのでその内容については生々しいものがあると思う、そういったものが苦手なかたは知らないほうが良い、検索は自己責任でよろしくお願いします。>皆様

映画監督としては誰もが記憶しているような話題作を幾つも生み出してきた人で、「ローズマリーの赤ちゃん」、「チャイナタウン」、「戦場のピアニスト」などはよく知られている、個人的には他にも「テス」、「オリバー・ツイスト」など。

私の初ポランスキーはその「ローズマリーの赤ちゃん」、見ているとなんとも言えぬ陰鬱な気分に陥る不気味な映画だった、主演にミア・ファローを選んでくるなどキャスティングの目は確かな人だと思う。

いつになっても、どこへ行っても陰と孤独が付き纏うこの人、ポーランドに生まれて育ち、大戦に巻き込まれた子供時代を経て映画監督の道を選び、藪の中を彷徨うように国を転々としてきた果て、その七十路の身で拘束される今に至るまでの波乱の人生のこれから先は、いったいどんな未来が待っているのだろうか。

本人が言うように全ては潔白なのか、実はそうではないのか、いまだ真実だって藪の中。

2009年9月12日土曜日

映画:「譜めくりの女」

この映画を見るまでは「譜めくり」というものがどれほど重要なのかを全く知らずにいました、演奏者が目で追う楽譜を息を合わせてめくるという作業を担う人のことである。


あらすじ:

満を持してコンセルヴァトワールの入学試験に挑んだ娘、それまでの練習の成果を見せるべくピアノに向かうのですが、審査員のうちの1人の著名女性ピアニストの等閑な態度に心を乱し演奏を一旦中断。

結局、気持ちが途絶えてしまい成果を残せず試験に落ちてしまう、涙して母親と家に戻った娘はピアニストの夢を捨ててしまうのだった。

時を経て娘は大人になり弁護士の事務所で実習生として働き始める、ある日、そこの弁護士が息子のお守り役を探していることを知り自ら申し出て引き受けるのだった。

後日、息子を連れた弁護士の妻との待ち合わせの地下鉄の駅で実習生はハッとする、その妻とはあの時の著名女性ピアニストだったのである。






傷つけられたプライドと捨てた夢の喪失感が長年の時を経てもなお背を押す女の復讐劇、実習生と妻との危うい別の感情も織り交ぜながら口数少なく淡々と物語は展開する。

そこで気は済んだだろう・・・と思えるあたりを越えて、最後の一撃は真に強烈、回復不可能なまでに諸々を破壊し、妻=著名ピアニストを絶望させるのでした。

涙する娘の能面のような顔、一言も口にしないままのその有様には怖さを感じる。

フランス映画は好きですか? 心理的に怖い映画は好きですか? もしお好きでしたらこの映画、お薦めです。

2009年9月7日月曜日

二人の「あきこ」

それはとても仲の良い姉妹で、中学校では「あたしたちはどちらも”あきこ”なのよ」と皆に言う年子の二人がいた、もうずっと昔の、私が小学生の頃のこと。

実際には姉が”章子(あきこ)”、妹が”晶子(しょうこ)”、読みとしてはどちらも”あきこ”と読めるので仲の良い二人は「私たちはどちらも”あきこ”なのだ」と自慢気に言っていた。

その姉妹の住まいは私の実家と同じ町内で、後に隣の町へ引っ越されたが、顔見知りのほとんどがこちらだったので何かにつけてよく遊びに来ていた。

私の高校生活もそろそろ終わろうかという頃、姉の章子さんが結婚を前提とした付き合いをしているという男を実家に連れてくるようになった、「お式(結婚式)はいつなの?」などと近所の人にからかわれていたのをよく覚えている。

ところが、実際に男と結婚したのは妹の晶子さん、男は実家に来るようになって晶子さんと出会い、結果として姉よりも妹に惹かれたということなのだと思う、複雑ないきさつは分からない。

その結婚を境に姉は妹を”あきこ”とは呼ばなくなり”しょうこさん”とさん付けで呼ぶようになった。

冗談のひとつすら口にすることもなくなり、呼びかけを聞こえぬかのように無視し、すぐそこに我が妹が立っていることを知っていながら、さも、たった今気がついたと言わんばかりの意外そうな顔で「あら」と作り笑いをしてみせる。

その接し方は一見穏やかではあったけれど実のところ一切がそうではなかった。

更に数年を経たある夏の日、まだ町内に子供がたくさんいた時代の子供会の日のこと、集会所で町内会長の奥さんが子供たちにスイカを切り分けて いた時、そこへ手伝いに来ていた二人の元へお皿を返しに来た子供に「それは晶子さんから受け取ったお皿でしょ? じゃ、私じゃなく晶子さんに渡してちょうだい」と章子さんは台所の近くで言い放ったのである。

膠も無いその口調と、黙々と手元の作業を続けつつの沈黙に、隣の部屋で子供たちに配る花火の袋詰め作業中の私は例の件から何年も経つのに実はまだ何ひとつとして許していないのだと確信した。

実家に姿を見せることもなくなった晶子さんは姉と結婚するはずだった男と西区で新居を構え、独身のままの章子さんは二人暮らしをしていたお母様が亡くなられたのを機に四十路半ばで実家を売り払い、少し離れた同じ区内の分譲マンションへ引っ越して行った。

2年前の9月、章子さんは脳の血管障害で倒れてそのまま亡くなり、そして今日、晶子さんが長患いの病気で亡くなったらしい。

日は違えど同じ9月である、逃げ場のない深い女の業に翻弄された姉妹は怨嗟の余韻だけを残して皆の記憶から薄れてゆくこととなる。

秋になるとあちこちから生えてくる真っ赤な彼岸花を気味が悪いと言って嫌い、その時期になると庭先にその花が咲くお宅の前だけを小走りで通り過ぎていた仲の良い二人を思い出す。

もうそろそろ、彼岸花も咲く、そんな今日の出来事である。