2009年9月7日月曜日

二人の「あきこ」

それはとても仲の良い姉妹で、中学校では「あたしたちはどちらも”あきこ”なのよ」と皆に言う年子の二人がいた、もうずっと昔の、私が小学生の頃のこと。

実際には姉が”章子(あきこ)”、妹が”晶子(しょうこ)”、読みとしてはどちらも”あきこ”と読めるので仲の良い二人は「私たちはどちらも”あきこ”なのだ」と自慢気に言っていた。

その姉妹の住まいは私の実家と同じ町内で、後に隣の町へ引っ越されたが、顔見知りのほとんどがこちらだったので何かにつけてよく遊びに来ていた。

私の高校生活もそろそろ終わろうかという頃、姉の章子さんが結婚を前提とした付き合いをしているという男を実家に連れてくるようになった、「お式(結婚式)はいつなの?」などと近所の人にからかわれていたのをよく覚えている。

ところが、実際に男と結婚したのは妹の晶子さん、男は実家に来るようになって晶子さんと出会い、結果として姉よりも妹に惹かれたということなのだと思う、複雑ないきさつは分からない。

その結婚を境に姉は妹を”あきこ”とは呼ばなくなり”しょうこさん”とさん付けで呼ぶようになった。

冗談のひとつすら口にすることもなくなり、呼びかけを聞こえぬかのように無視し、すぐそこに我が妹が立っていることを知っていながら、さも、たった今気がついたと言わんばかりの意外そうな顔で「あら」と作り笑いをしてみせる。

その接し方は一見穏やかではあったけれど実のところ一切がそうではなかった。

更に数年を経たある夏の日、まだ町内に子供がたくさんいた時代の子供会の日のこと、集会所で町内会長の奥さんが子供たちにスイカを切り分けて いた時、そこへ手伝いに来ていた二人の元へお皿を返しに来た子供に「それは晶子さんから受け取ったお皿でしょ? じゃ、私じゃなく晶子さんに渡してちょうだい」と章子さんは台所の近くで言い放ったのである。

膠も無いその口調と、黙々と手元の作業を続けつつの沈黙に、隣の部屋で子供たちに配る花火の袋詰め作業中の私は例の件から何年も経つのに実はまだ何ひとつとして許していないのだと確信した。

実家に姿を見せることもなくなった晶子さんは姉と結婚するはずだった男と西区で新居を構え、独身のままの章子さんは二人暮らしをしていたお母様が亡くなられたのを機に四十路半ばで実家を売り払い、少し離れた同じ区内の分譲マンションへ引っ越して行った。

2年前の9月、章子さんは脳の血管障害で倒れてそのまま亡くなり、そして今日、晶子さんが長患いの病気で亡くなったらしい。

日は違えど同じ9月である、逃げ場のない深い女の業に翻弄された姉妹は怨嗟の余韻だけを残して皆の記憶から薄れてゆくこととなる。

秋になるとあちこちから生えてくる真っ赤な彼岸花を気味が悪いと言って嫌い、その時期になると庭先にその花が咲くお宅の前だけを小走りで通り過ぎていた仲の良い二人を思い出す。

もうそろそろ、彼岸花も咲く、そんな今日の出来事である。