2009年12月30日水曜日

撮れぬ月暈と車を拾えぬ女性


夜更かしだろうが朝寝だろうが特に予定の無い休日なので仕事うんぬんには何ら影響しない、昨晩から散々ネット対戦で囲碁やリバーシで遊んだ後の未明に暇を持て余し、夜が明けてからでもいいはずの買い物を散歩代わりにJR吉塚駅隣のいつものスーパーへ行った。

深夜の空は時折雲が速めに流れるくらいで、空には明るい月が出ている、予報の雨はまだまだ遠そうだった。

駐輪場にズラリと並ぶ自転車は、てっきり駅の利用者等が勝手に停めているのだろうと思っていたらそんな時刻にも関わらず店内にはそこそこの数の客がいた。

カートを押して1周し、レジに並んで支払ったのはみかんと早生キャベツと2割引のカナトフグを2パックの代金。

駅前通りに面した駐輪場に戻って前のカゴに荷物を入れてみればなんとなく収まりが悪い、何度か直しながら通りの向かい側を見てみれば1人の女性が東方面へ向うタクシーを拾おうとしていた。

逆の西方面へ向かう空車をUターンさせようと手を振ったけれど気付かれなかったようで目的は果たせず。

いっそJR吉塚駅のロータリーか、もうちょっと移動して警察本部側から合流する交差点に立っていたほうが捕まえやすいのではないか・・・などと考えてみる、時刻も時刻、場所も場所なので。

駐輪場から出れば己の手の甲がほの明るい、月の明るさだ。

見上げれば珍しいことに月暈がくっきりと出ている。

今日の暈は目にする機会が多いほう、太陽や月の中心と自分とを結ぶ線からの角度46度ではなく22度のそれ、日暈を見る人は多いのですが、個人的には夜空を見上げる機会が多いので日暈よりも月暈のほうが記憶に多い。

なんとか携帯で撮ろうと腕を伸ばして何度か挑戦、撮影モードを変えても挑戦、月だけを外して暈だけにも挑戦、・・・、難しい、うまく撮れない。

なおタクシーを拾えぬ女と車道を挟んだ斜め向かいで数分は月暈を撮ろうと粘っていたこちら。

結局、そこそこの画像で諦めた。

時刻は午前2時47分、丑二つから丑三つ時へ差し掛かる晦日の未明のことでした。

2009年11月15日日曜日

ダム2ヶ所


今日は5人でドライブ、西でも東でも、2時間ほどで戻って来れそうな行く先として選んだのは三瀬トンネルを抜けて佐賀県に入ったそのあたりまで。

だがその手前の曲淵ダムに寄り道した、福岡生まれで福岡育ちな参加者のうちの1人がここにダムがあるのを知らなかったのである、車内から見える「曲淵ダム」の標識に「うわあ、こんなところにあるのか!」と驚いていたので実際に行って見せようとしたのである。

そのダムがそこにあったのを知らなかったとは・・・こちらが驚いた。

車を停めて降りてみる、どこからか下ってくる風が強烈に冷たい、車の中が暖かだったせいもあるのかもしれないが凍てつくほど冷たいのである、吐息は白く皆が口々に「うわぁ、寒い!」と首を縮めて足早に駐車場へ戻って行く。

そんな寒さに負けなかったのはどこかの見知らぬ若い2人、寒そうに背中を丸めてそこで昼食、夏はたくさんの人が涼むその場所も、この時期だと体温奪われて長居すれば風邪をひきそう。

すっかり冷たくなった手を揉みながら車へ戻り、三瀬トンネルを抜けて佐賀県側へ。

古湯温泉の近くを通って2ヶ所目のダム=北山ダムへ、いつだったか紅葉がきれいだったので今日はどうかと寄ってみたらそうでもなかった、時期が紅葉には早かったようで、記憶色が派手だったので色づいてない今日は一際地味だった。

枯れ色で地味なのではなく、緑ばかりという意味で。

北山ダムの縁に寄り、上から覗き込めば水がかなり少ない、貯水率が表示されていて今日は貯水率34%らしい、これからの季節はたいして使わぬだろうけど、しばらくは雨の少ない時期なので、これで次の雨のシーズンまで足りるのだろうか。

・・・などと、水資源に乏しくすぐに水不足に陥る福岡市民としては少々心配ではある。

まあ、要らぬ心配なのだけど(笑)。

どこをどう通っているのかはナビ次第、福岡へ戻るその道の途中で新たなダム建設現場に差し掛かりました、工事内容を示すパネルに「嘉瀬川ダム」という文字を見つける。

名前も分らぬ巨大な重機類が何台も見えた。

この日は三瀬峠を挟んだ福岡県側と佐賀県側とでは天気がまるで違っていた、福岡県側は雲が多くて日差しもたまに差す程度だったのだが、峠を越えると晴れ間の方が多いのだ、季節風に吹かれて玄界灘からの低い雲が入る福岡県側と、山越えすれば雲も消えた佐賀県側の違いであろう。

帰りは三瀬峠は通らずに鳥栖側から福岡入り、途中で食事を済ませて帰って来たのだった。

2009年9月29日火曜日

藪の中

つい最近になって届いた映画監督のロマン・ポランスキーについてのニュース。

チューリッヒの空港で逮捕され身柄を拘束されたというのだ、容疑は30年以上前のアメリカでの少女に対する淫行行為疑惑。

この話は事件当時に日本でもゴシップ扱いで話題になったのでよく覚えている。

ですが、ポランスキーと言えば少女淫行疑惑のそれよりも、まだずっと昔に起きた2番目の妻がカルト教団のメンバーに惨殺されたという「シャロン・テート事件」のほうがより衝撃だった、恐ろしい事件である。

真実の部分に、憶測とデマが入り交じって世間を騒がせた事件だった、今でもいろんな謎が解決されぬままで人々の関心を集めている。

シャロン・テート事件の詳細についてはここには長くなって纏めきれなくなるので書かない、もし知りたければ検索して欲しい。

ただし、凄惨な事件だったのでその内容については生々しいものがあると思う、そういったものが苦手なかたは知らないほうが良い、検索は自己責任でよろしくお願いします。>皆様

映画監督としては誰もが記憶しているような話題作を幾つも生み出してきた人で、「ローズマリーの赤ちゃん」、「チャイナタウン」、「戦場のピアニスト」などはよく知られている、個人的には他にも「テス」、「オリバー・ツイスト」など。

私の初ポランスキーはその「ローズマリーの赤ちゃん」、見ているとなんとも言えぬ陰鬱な気分に陥る不気味な映画だった、主演にミア・ファローを選んでくるなどキャスティングの目は確かな人だと思う。

いつになっても、どこへ行っても陰と孤独が付き纏うこの人、ポーランドに生まれて育ち、大戦に巻き込まれた子供時代を経て映画監督の道を選び、藪の中を彷徨うように国を転々としてきた果て、その七十路の身で拘束される今に至るまでの波乱の人生のこれから先は、いったいどんな未来が待っているのだろうか。

本人が言うように全ては潔白なのか、実はそうではないのか、いまだ真実だって藪の中。

2009年9月12日土曜日

映画:「譜めくりの女」

この映画を見るまでは「譜めくり」というものがどれほど重要なのかを全く知らずにいました、演奏者が目で追う楽譜を息を合わせてめくるという作業を担う人のことである。


あらすじ:

満を持してコンセルヴァトワールの入学試験に挑んだ娘、それまでの練習の成果を見せるべくピアノに向かうのですが、審査員のうちの1人の著名女性ピアニストの等閑な態度に心を乱し演奏を一旦中断。

結局、気持ちが途絶えてしまい成果を残せず試験に落ちてしまう、涙して母親と家に戻った娘はピアニストの夢を捨ててしまうのだった。

時を経て娘は大人になり弁護士の事務所で実習生として働き始める、ある日、そこの弁護士が息子のお守り役を探していることを知り自ら申し出て引き受けるのだった。

後日、息子を連れた弁護士の妻との待ち合わせの地下鉄の駅で実習生はハッとする、その妻とはあの時の著名女性ピアニストだったのである。






傷つけられたプライドと捨てた夢の喪失感が長年の時を経てもなお背を押す女の復讐劇、実習生と妻との危うい別の感情も織り交ぜながら口数少なく淡々と物語は展開する。

そこで気は済んだだろう・・・と思えるあたりを越えて、最後の一撃は真に強烈、回復不可能なまでに諸々を破壊し、妻=著名ピアニストを絶望させるのでした。

涙する娘の能面のような顔、一言も口にしないままのその有様には怖さを感じる。

フランス映画は好きですか? 心理的に怖い映画は好きですか? もしお好きでしたらこの映画、お薦めです。

2009年9月7日月曜日

二人の「あきこ」

それはとても仲の良い姉妹で、中学校では「あたしたちはどちらも”あきこ”なのよ」と皆に言う年子の二人がいた、もうずっと昔の、私が小学生の頃のこと。

実際には姉が”章子(あきこ)”、妹が”晶子(しょうこ)”、読みとしてはどちらも”あきこ”と読めるので仲の良い二人は「私たちはどちらも”あきこ”なのだ」と自慢気に言っていた。

その姉妹の住まいは私の実家と同じ町内で、後に隣の町へ引っ越されたが、顔見知りのほとんどがこちらだったので何かにつけてよく遊びに来ていた。

私の高校生活もそろそろ終わろうかという頃、姉の章子さんが結婚を前提とした付き合いをしているという男を実家に連れてくるようになった、「お式(結婚式)はいつなの?」などと近所の人にからかわれていたのをよく覚えている。

ところが、実際に男と結婚したのは妹の晶子さん、男は実家に来るようになって晶子さんと出会い、結果として姉よりも妹に惹かれたということなのだと思う、複雑ないきさつは分からない。

その結婚を境に姉は妹を”あきこ”とは呼ばなくなり”しょうこさん”とさん付けで呼ぶようになった。

冗談のひとつすら口にすることもなくなり、呼びかけを聞こえぬかのように無視し、すぐそこに我が妹が立っていることを知っていながら、さも、たった今気がついたと言わんばかりの意外そうな顔で「あら」と作り笑いをしてみせる。

その接し方は一見穏やかではあったけれど実のところ一切がそうではなかった。

更に数年を経たある夏の日、まだ町内に子供がたくさんいた時代の子供会の日のこと、集会所で町内会長の奥さんが子供たちにスイカを切り分けて いた時、そこへ手伝いに来ていた二人の元へお皿を返しに来た子供に「それは晶子さんから受け取ったお皿でしょ? じゃ、私じゃなく晶子さんに渡してちょうだい」と章子さんは台所の近くで言い放ったのである。

膠も無いその口調と、黙々と手元の作業を続けつつの沈黙に、隣の部屋で子供たちに配る花火の袋詰め作業中の私は例の件から何年も経つのに実はまだ何ひとつとして許していないのだと確信した。

実家に姿を見せることもなくなった晶子さんは姉と結婚するはずだった男と西区で新居を構え、独身のままの章子さんは二人暮らしをしていたお母様が亡くなられたのを機に四十路半ばで実家を売り払い、少し離れた同じ区内の分譲マンションへ引っ越して行った。

2年前の9月、章子さんは脳の血管障害で倒れてそのまま亡くなり、そして今日、晶子さんが長患いの病気で亡くなったらしい。

日は違えど同じ9月である、逃げ場のない深い女の業に翻弄された姉妹は怨嗟の余韻だけを残して皆の記憶から薄れてゆくこととなる。

秋になるとあちこちから生えてくる真っ赤な彼岸花を気味が悪いと言って嫌い、その時期になると庭先にその花が咲くお宅の前だけを小走りで通り過ぎていた仲の良い二人を思い出す。

もうそろそろ、彼岸花も咲く、そんな今日の出来事である。

2009年7月16日木曜日

主役は同年代


昨日と今日は滅多にない平日の2連休、お陰でmixiの参加コミュニティの過去ログをほとんど読み終えることができた。

もうひとつ、録り溜めていた海外ドラマも全て観終えた。

WOWOWで放送されている「ミディアム4 霊能者アリソン・デュボア」と、今シーズンが始まったばかりの「コールドケース5」、どちらも女性が主役のドラマ。

私は登場人物や物語の展開が若過ぎたり生活感に乏しいドラマには面白味を感じない、なので私が録画予約するものには疲れた中年や悩める中年がたくさん出てくる。

2009年6月27日土曜日

コストコ


本当なら仕事は休みだった今日は病欠で1人足りないという事情で午前中だけ仕事に行った、平日と違ってのんびりペースだったので疲れることもなかった、それが終われば帰宅、宵の内までの空き時間にそろそろ会員カードが失効期限を迎えそうなコストコ(糟屋郡久山町)まで車で行ったのだった。

特に欲しいものは無かったが、そろそろ会員更新の時期で更新するかどうかは微妙だったので失効する前の入れるうちにもう一度行っておこう・・・というのが今日の目的。

滅多に土曜には行かず、日曜と違ってずっと人も少ないだろうと思えば意外と人は多かった、きっとパンくらいは買うだろうと一応大きなカートを押して店内へ、いつものようにシナモンの香りがする、奥のベーカリーでそれを使った何かを焼いているのだ、シナモン入りの何かはパイか? ベーグルか? いい香りだ。

2009年4月28日火曜日

水の味

福岡市の水は不味い。

消毒用に添加された塩素臭がするのは仕方ないのだが、気温と共に水温も上がればなんとなくだがカビ臭さのようなものを感じてしまうので余計に不味いのである。

これがどこぞの名水のように山の麓の輝くような湧き水であればそんなこともないのだろうけど。

とはいえ、きれいな水なら一律で美味しいかと言えばそうとは限らない、福岡市東区の海水淡水化施設「まみずピア」では日々大量の真水が海水から作られているが、出来上がった水はピュア過ぎて美味しくないらしい。

そこで、普通の真水とブレンドして市内に配水しているという。

そして今日、生まれて初めてペットボトルの水を飲んだ、「水は蛇口から」というのが当たり前で、わざわざ金を出して水を買うなどというのは考えたことなどなかったけれど、頭痛薬を飲まんがために500mlで90円弱の天然水を買った。

仕事場で使う水は別途浄水器を通しているので特に不味いということはないけれど、今日買った水ははっきりと美味しい、何がどう違うのかと訊かれれば具体的に答えるのは難しいのだけれど確かに違う。

・・・プラセボ効果だろうか?

いいや、匂いではなく香りのようなものを感じる、微妙に成分も違っているはず、それ故か無味のはずなのに美味しいと感じる。

福岡では高価でややこしい浄水器を通して臭いを取り除き、ミネラル豊富な活性石のような濾材を通してでないと美味しさが出てこないけれど、天然のままで不味さが無いどころか美味しさを感じる水は全国各地にあるのだろうと思う。

近い場所なら大分や熊本にはきれいな湧き水があちこちから湧いている、わざわざ遠くから汲みに来る人もいるほどなので美味しい水なのだろう。

ペットボトルの水を口に含んですぐに違いを感じ、少し驚いてしまったそんな宵の内、頭痛で薬を飲む必要など無かったなら、これから先もペットボトルの水の味など知らぬままだっただろうと思う。

ペットボトル入りのお茶ならよく買っているのだけれど。

2009年4月25日土曜日

豆炭の謎

午前中に実家へ里帰り中の友人と暫し電話で話しをする、仕事の都合で暦通りの連休がとれず、よそより早めのゴールデンウィークだと言う。

景気の悪さに話が移った時に「君のところは不況知らずなのが羨ましいなどと言うので」つい「そんなことはない、必死豆炭だ」と言い返すと「まめたん?」と話があらぬ方向へ飛んでしまった。

てっきり広く使われていると思っていたが、それを打ち砕いたのが一昨年(?)の城島(マリナーズ)の「必死豆炭で追い掛けます」という発言に対する「必死豆炭って何?」という他所での反応。

必死豆炭=必死になって頑張るという意味、とはいえ「豆炭」だけで「頑張る」という意味はなさない、豆炭だけならあくまで燃料としてのそれなのだ。

そもそもなぜ「豆炭」なのだろう?

「必死練炭」や「必死木炭」、「必死石炭」などとは言わない、「マメに頑張る」などの「マメ」を継いでいるのだとか、豆炭は着火しにくく燃えるまであれこれ頑張らなくてはならないから・・・等と諸説あるけれど、どれも今ひとつピンと来ない、なので確かなことは分からない、生活の中で受け継いできた言葉なので特に語源について考えたこともなかった。

・・・今となっては豆炭や練炭などを知らぬ人もたくさんいそうな気もしますが。

そう、年代による境がありそうな気がするのだ、20代は使わないし知らないだろう、30代は知っているかもしれないが使わないだろう、40代ならもしかすれば使うかもしれない、50代なら抵抗なく使うだろう、60代以上は当たり前の日常の言葉だったりして。

改めて考えてみれば不思議な言葉、「豆炭」である理由はさておいて、なぜ主に福岡(もっと広く九州北部か?)に偏って使われているのだろう、なんとも面白いことである。

豆炭は日本全国どこにだってありそうなのに。

この豆炭の謎に対抗できるのは大阪の「レンコン」くらいではなかろうか、何故そうなのだという点に於いて、その両者は互角な気がする。

2009年2月11日水曜日

薫長酒造


「ところにより一時雨」などという予報が信じ難いほどの晴れの休日を、部屋でゴロゴロ過ごすのが勿体無くてドライブに出掛けた、高速に乗って40分弱、向かうは九州自動車道から大分自動車道へ逸れた先の大分県の日田まで。

今日は薫長(くんちょう)酒造の酒蔵開き、電線を地下に埋設し電柱を無くしたという街の景観美化策の記念行事と重なって、豆田町は交通規制と見物客でかなりの混雑。

駐車場の空きがやや離れた場所にしかなかったのでそこに停める、片道で8分ほどを歩いて豆田町へ。

この日ばかりは通常であれば有料の各記念館や資料館も無料で入館可能、ただし、カメラでの撮影は禁止。




パッと見では酒蔵と思えぬ設えの入り口、似たような駅舎をテレビで見たことをふと思い出しました、ズラリと並ぶタンクには絵が掛けられており、ひとつひとつ追って行くと・・・。




ほら、この目元、なにか・・・どこかで見覚えのあるようなモデルさん・・・、米倉斉加年さんがお描きになった森光子さん。




急勾配の階段を上がった2階の様子は昔の作業場を模した様子、ステップの幅が狭いので上がる時は大丈夫でも、降りる時が踏み外しそうで怖かった。

もっとリアルな現場も隣の棟や蔵で目にすることはできそうだったのですが、いかんせん酒はデリケートなものなので部外者が土足で易々と立ち入ることなど以ての外。

そこは職人さんたちのみ入れる聖域なのだ。




・・・ほら、やんわりと押し返されてしまいます、当然ながら。

お土産は300円の酒粕と800円のぐい呑み付きの小瓶、それと100円の酒饅頭も欲しかったのですが、蒸しあがり予定時刻に行ってみると、あっという間に売り切れてしまっていた。

特に御婦人がたに大人気だったそうで。

それと朝の天気予報、あれだけ晴れていたものが北寄りの空からにわかに曇って暗くなったかと思えば・・・、ワイパーが必要なほどの雨が帰り道の杷木町あたりから降ってきた。

車なので試飲はできず、土産物を幾つか買った、高速道路を使えば日田は近い。