午前中に実家へ里帰り中の友人と暫し電話で話しをする、仕事の都合で暦通りの連休がとれず、よそより早めのゴールデンウィークだと言う。
景気の悪さに話が移った時に「君のところは不況知らずなのが羨ましいなどと言うので」つい「そんなことはない、必死豆炭だ」と言い返すと「まめたん?」と話があらぬ方向へ飛んでしまった。
てっきり広く使われていると思っていたが、それを打ち砕いたのが一昨年(?)の城島(マリナーズ)の「必死豆炭で追い掛けます」という発言に対する「必死豆炭って何?」という他所での反応。
必死豆炭=必死になって頑張るという意味、とはいえ「豆炭」だけで「頑張る」という意味はなさない、豆炭だけならあくまで燃料としてのそれなのだ。
そもそもなぜ「豆炭」なのだろう?
「必死練炭」や「必死木炭」、「必死石炭」などとは言わない、「マメに頑張る」などの「マメ」を継いでいるのだとか、豆炭は着火しにくく燃えるまであれこれ頑張らなくてはならないから・・・等と諸説あるけれど、どれも今ひとつピンと来ない、なので確かなことは分からない、生活の中で受け継いできた言葉なので特に語源について考えたこともなかった。
・・・今となっては豆炭や練炭などを知らぬ人もたくさんいそうな気もしますが。
そう、年代による境がありそうな気がするのだ、20代は使わないし知らないだろう、30代は知っているかもしれないが使わないだろう、40代ならもしかすれば使うかもしれない、50代なら抵抗なく使うだろう、60代以上は当たり前の日常の言葉だったりして。
改めて考えてみれば不思議な言葉、「豆炭」である理由はさておいて、なぜ主に福岡(もっと広く九州北部か?)に偏って使われているのだろう、なんとも面白いことである。
豆炭は日本全国どこにだってありそうなのに。
この豆炭の謎に対抗できるのは大阪の「レンコン」くらいではなかろうか、何故そうなのだという点に於いて、その両者は互角な気がする。