2011年4月29日金曜日

口達者

今日は午前中から母親を連れて北九州の若松まで行った、目的地は母の知り合いのお宅、ひとつ年上で長い付き合いの「まゆみさん」という人、それは本名ではない、大連の女学校時代の演劇でそういう名前の役を演じたところから付いたらしい。

そう、中国は大連の女学校時代の友人なのです、古いも古い、60年以上前からの知り合い。

そのまゆみさん、今日から5月3日の午前中までうちの実家で過ごすこととなった、これはまゆみさんのご家族が3日に博多どんたく目的で福岡市へやって来るまで「家族が来るまでうちに遊びにいらっしゃいよ」・・・と、うちの母が誘ったからだ。

さてその初日、まゆみさんを迎えに行った若松から帰り着く博多の実家までの間、きっと2人とも疲れてぐったりするのではないかという心配は全くの杞憂に終わり、どちらもうるさいくらいによく喋る。

それは実家に着いてもそう、まゆみさんは姉によく話しかけ、からかって笑っていました、楽しそう。

夕食はなんでも放りこむ勝手鍋、今日は敢て一旦凍らせた豆腐に鶏肉と深ネギ、そして山のような水菜、そして細切りの昆布、残り物の油揚げ、他はメバルの刺し身。

食べながらもよく喋る2人、元気ではあるがやはり小さくなったなと母親を見ていて思う、肩幅が狭くなり、背が縮んで低くなり、首や腕が細くなり、背中も少し丸くなったような。

なにより手が小さくなったと思う、両手の親指の付け根あたりが痩せたような感じもする、それでも完全な健康体とは言えないが、こうやって笑って暮らしてゆける今の姿を見ていてほっとする。

口達者な2人はこの日の為に買っておいた冷酒の小さな瓶を冷蔵庫から取り出して飲んでいました、飲むといっても小さなグラスにほんの少しだけ、口に含んでは「くしゃみが出そう」だとか、ヨシマサさん(まゆみさんの亡くなった旦那さん)ならラッパ飲みしそうだとか言いながら。

どちらも元気で少しでも長生きして欲しいなと思う。

2011年4月28日木曜日

映画:「時をかける少女」(アニメ)

やはり新作よりも古いか予備知識の無い映画に食指が動く。

2006年公開で時期が「ゲド戦記」と重なったらしい不遇なアニメ映画、もしそうでなかったらそこそこヒットしていそうな気がするのは私だけではないはず、レンタルショップで見つけてDVDを借りてきての感想。

これよりも20年以上昔に原田知世主演で同タイトルの映画があったが、それと同じような展開かどうかは観ていないので不明。

また、この映画の主人公役の吹き替えをしている仲里依紗(「純喫茶磯辺」の娘役)はこのアニメの数年後に公開された実写版の同タイトルの主人公役として出演しているという。


あらすじ:

物語の主人公は17歳の女子高校生、ある夏の日、学校の理科の実験室で床に落ちている小さな物を拾おうと屈んだ際に自分以外の誰もいないはずの人影に驚いて転倒、一瞬意識が飛び、正気に戻ればただ呆然とするばかり、これが全ての発端。 

同日、その女子高生は帰宅途中の坂道で自転車のブレーキが故障、どうにも事態を回避できないまま降りた遮断機へ突っ込み、そこへやって来た列車にはねられて・・・しまうはずなのですが気が付けば何故か遮断機からずっと手前にいて事故に遭うほんの少し前という状態。

その女子高生はそれをきっかけに自分の思う通りに時間を跳躍=タイムリープできる能力に気付き、利用し始めるのでした。


主人公がミステリアスで可憐な少女ではなく男子顔負けの元気でハツラツとした感じなのが大変好ましい、タイムリープ後に荒っぽく転がり現れる様が実に似合うのはそのせい。

見ているうちに己の為の行いは意図する/しないに関わらず第三者へ影響することや、いくら時間を遡って物事をやり直そうとしても無理なことはあるということ。

そして、どこか己の行いは己に戻ってくるという因果応報の考えに通じるものがあり、それがあっさりとした台詞を基にした物語の展開で描かれている。

諸々を踏まえた上で繋がる物語の終盤、目先の都合だけで浪費していたタイムリープの残り回数も、最後の1回の価値はそれまでの全てより重かったと思う。

能力を使い切ってしまった女子高生、好きな人が「未来で待っている」と言って去っていった、女子高生はその未来での再開を決意するのだけれど、その目的はたぶん果たせないままなのだろうな・・・と個人的には思っている、そう考えると非常に切ないラストだった。

美術館勤務の叔母の存在は実は重要。

先進的なものではなく身近で生活感に溢れる光景を微妙な色加減で見せてくれる美しさがこの映画にはあります、感極まって泣きそうになる映画ではないが、切なさで少しだけ胸が痛くなるような映画だった。

この映画については「アニメ 時をかける少女」で検索するとヒットする、ご興味があればどうぞ。>皆様

2011年4月18日月曜日

友人の見た夢の話

友人から夢の話を聞いて驚いた。

昨日の午後、友人は昼食後に横になってテレビを見ていたらそのまま眠ってしまい夢を見たという、その中では実家の両親が自分のことを話していたらしい。

父親はテレビを見ながら、そして母親は台所で皿を洗っている、2人はそのままの状態で話をしていて、

「○○(友人の名前)は今度(ゴールデンウィーク)帰ってくるのか?」 
「先月帰ってきたからたぶん帰ってこないわよ、また沖縄に行くんじゃないの?」 
「帰ってくるなら●●(近所の割烹)でメシの予約でも入れておかないか」 
「訊いてみましょうか」

そんなやりとりの後で携帯を取り出して息子へ電話を掛ける母親、こちらではすぐさま携帯が鳴る、その着信音がもの凄く大きな音だったので驚いて目を覚ませば携帯は現実に鳴っていて、掛けてきた相手は現実の友人の母親。

「連休は帰ってくるの?」と訊かれたらしい。

友人は大変驚いたそうですが、この話を聞いたこちらも驚いた。

そんなこともあるのか・・・。

目がさめた時に覚えていないことが多いだけで誰しも毎日夢は見るらしい、その展開に驚いて目がさめると覚えていることも多い、私の場合は二度寝すると何か夢を見たような記憶はあっても内容はさっぱり覚えていない。

時に長い長い夢を見る、転寝のつもりでもそんな長い夢を見る、ところが、目がさめてみると僅か10分も経っていない場合がある、夢そのものは2時間くらいの長尺だったはずなのに、眠っている間の頭の中はいったいどうなっているのだろうか。

記憶に強烈に残るものだってある、そういうのはたいてい同じ夢を見ていたりする、繰り返し同じ夢を見るので記憶に残ってしまうのだ、また、そういう話は展開が終わるのも同じ所なのだが、結末の肝心な部分を思い出せないでいたりする、もどかしい。

同じ夢を見ていると、眠っていて夢を見ているのを自覚している、「ああ、これは前にも見た夢だ、今は眠っているのだ」と。

友人はその現実とシンクロするような夢のことをたぶんずっと忘れないだろうと思う、不思議な夢の話だった。

2011年4月14日木曜日

40KHzのそちらでは

仕事場に設置している時計は小型のシンプルなアナログ表示の電波時計、アナログ表示を選んだのは時間の流れが掴みやすく、電波時計にしたのは言わずもがな非常に正確であるから。

買ったのは天神の電器店、電波時計を探していると言うとこれはどうですかと2万円もするのを薦めてきた、毎正時に人形が出てきてくれるというのだ、そして鐘の音が鳴るそうで。

シンプルなものを探しているので断った、結局今使っている数千円のものしたが満足している。

思ったよりも電池の持ちも良さそうだし。

その時計は日々微塵の誤差もなく正午を告げてくれる、タイムカードから開店の時計、パートさんの腕時計の誤差修正用にと仕事場の全ての時刻の標準になっている。

昔なら電話で117かテレビの時報が最も正確な基準だったけれど。

ふと思った、日本には電波時計に正しく時刻を知らせる基準となる電波を長波を使って2ヶ所から吹き流している、ひとつは「長波標準電波施設 はがね山標準電波送信所」 で佐賀と福岡の県境に羽金山(はがねやま)山頂から、もうひとつは「長波標準電波施設 おおたかどや山標準電波送信所」 で福島県にある大鷹鳥谷山(おおたかどややま)の山頂から。

九州はもちろんのこと関東あたりまでをカバーする羽金山からの60KHzのそれが受信できるならば今も正確に時を刻んでいるはずだが、それが難しい更に遠くや奥まった場所では内蔵クォーツに切り替わって動作しているはず、今はもうそれなりのズレが生じているのではなかろうか。

福島の施設が避難区域内にあり、現在電波が停波中なので。

震災と原発被害のせいでいろんなものが止まったままなのだと思う、離れた九州ですら影響があるくらいなので、当の被災地では何もできない状態と言ってもいい程なのだろう、いろんな不自由が重なると、いったいどれから解決を試みてよいのかすらわからなくなることすらある、さぞかしストレスだろう。

それら電波時計が再び正しい時刻を取り戻すまであとどれくらいかかるものか、いろんな意味を含めて早くそういう日が戻って欲しいなと滑るような秒針を仕事場で見ながらそう思う。

2011年4月12日火曜日

川面を覗き込む人たち


午後は所用でJR箱崎駅近くへ、たった4台しか停められぬコイン式の駐車場に車を停めて歩くこと数分、築4年の3階建ての某コーポへ不動産業者の人に会いに行った。

近々甥がそこへ引っ越すので保証人である身としては住まいそのものや周辺の様子を知りたいし、管理会社の人や大家にも会っておきたい。

そこで要した時間は思ったより早く終わって45分ほど、ごみの持ち出し日を確認し、予め補修しておいて欲しいヶ所を2つ指摘し、バイク置き場の確保も確認した、あとは・・・甥に任せておこう。

保証人として電話以外にもうひとつの連絡手段が欲しいと言うと、不動産業者、管理会社、大家それぞれがメールアドレスを教えてくれた、これなら電話と違ってもっと時間的に自由に連絡がつくだろう、なにより電話に出れぬ場合でもメールであればお互いメッセージを押し込んでおける、受取人が暇になった時に読んでくれるので便利なはずだ。

甥が仲間でも呼んで酔って騒いでいたら連絡してくれと言うと分かりましたと言って笑われた。

駐車場へ戻る途中の川沿い、その川の名は宇美川、掛かる橋の名は覚えていない、その橋の上から通行人が立ち止まるか歩みを遅らせて川面を覗いているのに気がついた。

何を見ているのだろう、魚か?

いや、水の色を見ていたのだった、ピートモスのせいで紅茶のようになっているアメリカのどこかの川のような色、色はついているけれど濁ってはいない、これは一体何の色だろう?

きっといつもはこんな色ではないから通行人が下を覗いているのだろうと思う、普段は澄んだ川・・・というわけでもなさそうだが。

部分的に着色していない透明な水の場所もあり、そこには小さな魚が泳いでいるのが透けて見えていた。

黄砂も抜けて空は青い、午後2時頃だったので日差しは強く、ここ数日の日差しでシャツから出た手首から先が一層のこと黒くなって日焼けの色だけは早くも初夏のそれ。

カップホルダーの飲み物が温かくなっていてもう飲めない、窓を開けていても車の中は暑い日だった。