2011年4月28日木曜日

映画:「時をかける少女」(アニメ)

やはり新作よりも古いか予備知識の無い映画に食指が動く。

2006年公開で時期が「ゲド戦記」と重なったらしい不遇なアニメ映画、もしそうでなかったらそこそこヒットしていそうな気がするのは私だけではないはず、レンタルショップで見つけてDVDを借りてきての感想。

これよりも20年以上昔に原田知世主演で同タイトルの映画があったが、それと同じような展開かどうかは観ていないので不明。

また、この映画の主人公役の吹き替えをしている仲里依紗(「純喫茶磯辺」の娘役)はこのアニメの数年後に公開された実写版の同タイトルの主人公役として出演しているという。


あらすじ:

物語の主人公は17歳の女子高校生、ある夏の日、学校の理科の実験室で床に落ちている小さな物を拾おうと屈んだ際に自分以外の誰もいないはずの人影に驚いて転倒、一瞬意識が飛び、正気に戻ればただ呆然とするばかり、これが全ての発端。 

同日、その女子高生は帰宅途中の坂道で自転車のブレーキが故障、どうにも事態を回避できないまま降りた遮断機へ突っ込み、そこへやって来た列車にはねられて・・・しまうはずなのですが気が付けば何故か遮断機からずっと手前にいて事故に遭うほんの少し前という状態。

その女子高生はそれをきっかけに自分の思う通りに時間を跳躍=タイムリープできる能力に気付き、利用し始めるのでした。


主人公がミステリアスで可憐な少女ではなく男子顔負けの元気でハツラツとした感じなのが大変好ましい、タイムリープ後に荒っぽく転がり現れる様が実に似合うのはそのせい。

見ているうちに己の為の行いは意図する/しないに関わらず第三者へ影響することや、いくら時間を遡って物事をやり直そうとしても無理なことはあるということ。

そして、どこか己の行いは己に戻ってくるという因果応報の考えに通じるものがあり、それがあっさりとした台詞を基にした物語の展開で描かれている。

諸々を踏まえた上で繋がる物語の終盤、目先の都合だけで浪費していたタイムリープの残り回数も、最後の1回の価値はそれまでの全てより重かったと思う。

能力を使い切ってしまった女子高生、好きな人が「未来で待っている」と言って去っていった、女子高生はその未来での再開を決意するのだけれど、その目的はたぶん果たせないままなのだろうな・・・と個人的には思っている、そう考えると非常に切ないラストだった。

美術館勤務の叔母の存在は実は重要。

先進的なものではなく身近で生活感に溢れる光景を微妙な色加減で見せてくれる美しさがこの映画にはあります、感極まって泣きそうになる映画ではないが、切なさで少しだけ胸が痛くなるような映画だった。

この映画については「アニメ 時をかける少女」で検索するとヒットする、ご興味があればどうぞ。>皆様