2011年7月25日月曜日

「例え」に現れるあなた

仕事帰りのコンビニ、そこから表に出てきたのは20代半ばくらいの男性が2人、彼らは私と同じ方向へ歩いて行く、ただし、2人は話をしながらのんびり歩いているのでこちらのほうが歩みは速い。

ほどなく彼らを追い越そうかというあたりで髪のやや短いほうが「うわー酸っぱいなーこれ」と手にした緑色のボトルをまじまじと見ながら言う、髪の長いほうが「そんなに? どれくらいですか?」と訊けば、「pH(ペーハー)3ぐらいかも」と答える、そこで返ってきたのは「あ、俺それは無理ですねー」という反応。

この2人は酸っぱさを具体的なpHで伝えて理解できている、pH3の酸っぱさを経験として共有している2人なのだ。

学生風ではないので社会人で何かしらの研究職か、化学業に携わる人なのか、はてさてどんな人たちなのだろう。

何気ない言葉の中にその人が置かれた社会や生活環境が見えてくることがある、見えずともぼんやりとベクトルだけ伝わるということのほうが圧倒的に多いのだけれど。

街中で連れ立って歩く若い子らを輸入サザエみたいだと言った海産物販売店の営業員や、長かったフランス生活から戻って来た知人がアスファルトを低い位置から照らす夕陽を焼き栗色だと言ったのもそういうことなのだ。

某音楽家はテレビの対談で「あなた今日はイ短調で喋っているけど元気ですか?」と言った、イ短調がどういうものなのかは私には理解できないが、分かる人には分かるのだろう。

誰かとの会話の中で「おや?」と思うような例えや表現を耳にしたら、そこを敢えて細かく問うよりまず覚えておいて、後から思い出してその人の背景を思い描くのも結構楽しかったりする。

そんな楽しみも織り交ぜつつ賢い人との会話は機微に富んで本当に楽しい、なにより洗練されている、もののたとえを自分の豊富な経験で代替させて表現してくれる。

もしそれが相手に伝わらなければ別の言葉で言い換えてくれる賢さがある、それと同時に聞くのも上手だ。

「pH3」に情感は乏しいけれど、化学や物理や理数だって自然法則の一部なのだと解釈すればややこしい数式の解法だって流麗なショパンの楽譜に思えてくるのかも。

2011年7月21日木曜日

宴の後

普段、ドラマと言えばアメリカドラマばかりなのだ、昔は国内ドラマにも面白いものがたくさんあったのだが今は初回で味見をしたら続きはもう見ていない、寂しい限りである。

だが久々に面白いドラマを見つけて毎話欠かさず見ていたものがあった、過去形なのは最終話を見終えたからだ。

録画していた火曜の午後10時・・・より少し遅れて放送されていたNHKのドラマ「下流の宴」、そのの最終話を見終えた、NHKのこの時間帯のものを見逃さぬよう録画しているのは珍しいこと。

このシリーズは全8話にて構成されていた。

第1話から物語の要となる一家の息子の無気力さと覇気の無さに失笑と苦笑を重ねつつ、若干いらつきながらも目を離せず毎回欠かすことなく見続けられたのが自分でも不思議。

息子を挟んで彼女と母親の綱引きも越えるに越えられぬ世代と価値見の違いのちぐはぐさが可笑しくも息苦しく、そして身近にゴロゴロと転がっていそうで妙にリアル。

ぼそっと呟くようなセリフに重い意味が込められていることが多く、おのずと一言も逃さぬようにと見ていた。

退屈な2時間ドラマみたく結末まで楽に見通せるものとは違って、いつもこちらが予想したのとは少し違った展開で話が進んでゆく面白さは、きっと原作が素数のような林真理子の脳内から生まれた話であるのと、それを匂いまで理解していそうな優れた脚本家の力量のお陰だったのではなかろうか。

特に結末は「窓から皿を投げたら皿が割れた」のではなく「地面にヒビが入りました」というくらい意外だった、個人的には。

母親役の黒木瞳も思った以上にぴったりで、適役だったと思う。

再放送もあるだろうし、オンデマンドで見る人だっていそうなのでネタバレを避けて物語の詳しい内容は伏せますが。

故にドラマを見た人はこの日記に「ふふん」と思い、そうでない人は何が何やら解らないという状態に違いない。

もしいつか再放送の機会が巡ってくれば、まず1話目だけでもいかがだろうか、何か「おや?」と思うところがあれば続く2話目も是非どうぞ。

2011年7月11日月曜日

敢えて凍らせる方法

日も暮れた宵の内にいつも立ち寄るスーパーへ行った、普段なら仕事帰りの夕方だけど、今日は一旦帰宅し、夕食も済ませた頃の散歩ついでの買い物だった。

入ってすぐの場所、日配品の棚に3割引のシールが貼ってある木綿豆腐を幾つか見つけたので買い占め、私は高価なものを買って幸せになるタイプではない、良さそうなものが安く買えて小躍りするタイプなのだ、こういった特売品を見つけるのは楽しい。

浮いたお金は口座にジリジリと貯まる、塵も積もればでそれもまた楽しいではないか、そんなせいかケチ(!)だと言われることも多い。

まあ、それはともかく(笑)、野菜4種類と日替わり特売品のヨーグルトと豆腐4丁を提げて帰宅。

豆腐を1丁だけボウルの水の中に移して冷蔵庫へ、残り3丁は半分に切ってラップで包んで冷凍庫へ。

冷蔵庫ではない、冷凍庫、完全に凍らせてしまうのだ。

豆腐は冷凍してはいけないと言う人も多いけれど、凍らせた豆腐は解凍後にぎゅっと水気を絞って包丁で切るなり手で千切って放り込むなりで煮物等に使うと味がよく滲みて美味しい、独特な歯応えも生まれる。

ただし、冷奴のような食べ方はもうできない、スポンジ状になっていて薄味の煮物(味が濃いと煮汁をたっぷり吸うので塩辛い)や汁物にしか使えない、揚げたり炒めたりも全く向かない、そういうものには買ってきたままの豆腐をどうぞ。

面白い使い方として水気をしっかりと固く絞ってバラバラにしてしまうのである、包丁で細かく刻んでしまえばそれで充分、簡単に細かくできる。

それをハンバーグを作る時のパン粉の代わりに使うのだ、少し食感が変わるし、植物性蛋白質も摂れて、パン粉よりは炭水化物を減らせる。

どこかにまだ固い木綿豆腐の面影を残した凍り豆腐(高野豆腐)のような感じが良いのである。

特売品等で安い木綿豆腐を多めに見つけたら多めに買ってお試しあれ、好きな時に使えて実に便利。

解凍は前夜から冷蔵庫か、レンジで2~3分の加熱で。

2011年7月10日日曜日

エスカレーターは正しく使いましょう

夕方前の天神の某商業ビル、地階から上の階へ行こうとエレベーターへ、だが順番待ちが多くて時間かかりそうだったのでエスカレーターで上へ。

目指す5階で降りてみれば男の子が右手で左手首を握ったままエスカレーターの脇で泣いていた、父親と思しき男がフロアの責任者風の男に「だったら『ベルトを掴んで遊ばないでください』くらいはっきり書いておけ!」と 激しい口調で言い立てて騒いでいる。

次から次に下から客が上ってくる、皆「なにごとなのだ」といった面持ちで通りすぎてゆく。

どうやらその子供はエスカレーターのベルトを掴んで(自分の側に引っ張って)動きを止めようとして手首を傷めたらしい。

バカなことを言うものだと思う、エスカレーターのベルトは掴んで遊ぶものではないことくらい常識ではないのか、なにより、大人が子供をしっかり監督し不測の事態に至らぬようそんな行為を注意して止めさせるのが当たり前。

そう、当たり前、親の責任なのだ。

「ベルトを掴んで遊ばないでください」などという注意書きが当たり前の世の中だったら他の事についてもあらゆる注意書きを用意しなくてはならなくなるではないか、

「目を閉じたまま歩かないでください」
「歩行中の突然の逆立ちはご遠慮ください」
「公園に家を建てるのはお止めください」

・・・普通こんなことまで注意しないであろう、しないのは「そんな行為に及ばないのが常識」だからである。

己の、保護者としての責任はなおざりのまま、それも分からずに他人に責任をとやかく問うなどは常識が欠落している証しなのだ。

なにより、どこか傷めたのならそこで文句を並べるのに時間を費やすのではなく、さっさと子供を病院に連れて行って診てもらうのが先だ、あの大人は子供の体よりも自分の感情を優先している。

不思議と近頃こういう人がやたらと目につくのだ、見かける偶然の機会が増えたのか、はたまたこういう人そのものが増えたのか、これからも度々目にすると思う、嫌な光景である。

2011年7月1日金曜日

元物置部屋で寝る男


実家の物置部屋になっていた日当たりの悪い部屋を整理した、姉の古い雑誌や壊れて使いようのない扇風機やコイルの切れて音が鳴らないスピーカーなど「こんなものまで」と思う物の多くがごみと化した。

懐かしいものもあったりで整理作業は楽しかったけれど。

この部屋を整理する目的は私が寝るため、決して今の賃貸マンションを追い出されたわけではない、母親も高齢だし、姉が女2人だと心細いと思うことが最近あるらしいので実家に居る時間を長めにするためである。

最低でも週に2日は様子を見に行き、そのどちらかは深夜までか、いっそのこと朝まで居ようと思っている。

私が行かない日は時々でも姪が様子を見に来てくれるらしい。

その六畳間に置いてあった物のうち不要な物は明後日の回収となるよう手配も終えた、軽トラック1台で済んでしまう量である、処分費用は全て合わせて約2万円なり、高いのか安いのかはわからない。

なんとか部屋を空けて掃除も済んでネット通販で買っていた窓用のエアコンを取り付けました、本当はセパレートにしようかと思っていたのだが、室外機の設置場所の関係で断念。

室外機の後ろと前にそれぞれ最低限必要なスペースというものがあるらしい、あまり狭い場所に設置すると後々のメンテナンスも大変だという、なるほど、それはよく理解できる、室外機設置のために子供の頃から葉を繁らせている南天を切り捨てるつもりは無い。

窓用エアコンの運転音はそこそこ大きいだろうなと覚悟をしていたが予想通りに大きい、ついでに本体も大きい、取り付けは30分ほどで至極簡単、日本製で使わぬ時は窓をぴたりと閉められるのは良い、スイッチオンですぐに冷えるので音さえ気にしなければ問題なし。

そう、音は大きくともそれが不快なほど気にならないので問題ないのである、それよりも猛暑の季節の熱帯夜をうなされることなくぐっすり眠れるほうが重要、これならこんな物置部屋でも快適に過ごせそう。

いや、違う、「元」物置部屋だった。

先ほど少し書いたが、この窓用エアコンは冷風が出てくるまでの時間が素晴らしく早い、僅か数秒である、セパレート型のエアコンだと室外機のコンプレッサーが動き出して、冷却ガスが循環を始めて、準備が整ったところでいよいよ送風開始・・・となるのだけれど。

しかも六畳間だと寒いほど冷える、木造家屋の想定冷房空間として四畳半が記されていたが、購入時に参考にした口コミサイトの評価通りで充分過ぎるほど冷えるので冷房能力の点で問題は無い。

ところで最近、姉は家庭ごみの持ち出し日にごみ袋を提げて表に出てみると、暗い場所からよそのお宅を覗き込んでいる誰かを見かけたらしい、こちらに気付くと足早に去って行ったというから姉の言う女2人で居ることの心細さの原因になっているのかもしれない。

玄関にLEDの常夜灯を灯し、暗かった部屋にも明かりが灯って住人が1人増えれば、たとえそれが私が4人兄弟の末っ子であっても多少なりとも心強いのではなかろうか。

2011年6月22日水曜日

夏至と極夜とニイニイゼミ

蒸し暑さがとても不快で暦の歩みをうっかり忘れるところだった。

今日は太陽が北回帰線にまで届き、そして明日からは赤道やそのまた向こうの南回帰線目指して帰り始める折り返し地点。

そんな曇り空の下、肘から先に白いカバーと日傘を差したご婦人を午後の散歩の途中に舞鶴公園で見掛けて今日が夏至であることをはたと思い出した。

ベンチに腰掛ける人たちもなるべく日が当たらぬ場所を選んでいる、風通しの良い場所は人気で、そこに腰掛けている2人のうちの女性の髪や着衣の裾がはためいていた。

男性のほうは短い髪にTシャツ姿なので強風でもはためきそうにない、どちらも木陰の下で涼しげだった。

曇っていなければもっと濃く日焼けをし、そして更に気温が上がって疲れていただろうと思う。

その一方、遥か遠い南極圏では極夜のピーク、一日中太陽が昇らないという日なのだ、晴れていても該当地帯ではさぞ暗い昼間であろう、それは今月に入ってから始まっていて来月の中頃で終わるはず、なので逆に北極圏では白夜のピーク、さぞ明るい夜が続いているはず。

そういえば、この投稿の9日後の7月1日は部分日食の日ではないか、残念なことに今回は日本からは観測できない、南極付近のみなのだ、日本からだと2012年05月21日の金環日食だ、これは楽しみである。

季節そのものは行きつ戻りつで進むのだけれど、星や太陽はきっちりといつも通りの几帳面さ。

太陽と違って私の散歩の折り返し地点は北回帰線ではなくすぐそこの大濠公園のスタバのすぐ傍、デメテル像なのだ。

戻って来る途中の鴻臚館跡付近では抑揚のないニイニイゼミの鳴き声が聞こえていた、今年最初だと思う。

いや、もしかするとここ数日のうちに聞こえていたけど意識しなかったので覚えていないだけなのかもしれない、今日は夏至を意識した後なので気付いただけなのかも。

いずれにせよ暑い、すっかり夏の陽気である、これから9月半ばくらいまでは「暑いですね」が挨拶代わりで登場する。

散歩のあと、汗が流れたせいで冷たい飲み物がひときわ美味しかった。

2011年6月20日月曜日

映画:「怪談」


自分の生まれた年に公開された映画を探していて見つけた邦画(1964年ではなく翌年だという説もある)、原作は小泉八雲の「怪談」と「影」、「骨董」からの4話を集めたオムニバス。

1話目の「黒髪」が「影」から、2話目の「雪女」と3話目の「耳無し芳一の話」が「怪談」から、4話目の「茶碗の中」が「骨董」から。


あらすじ : 

「黒髪」:貧しさに疲れた武士が献身的で優しい妻をある日捨て、富と地位を欲し甘やかされて育った我が侭な女を娶ってしまう、が、その冷淡さに昔の妻の有り難さと無下にも捨ててしまった後悔とで再び戻り荒れ果てた懐かしの建家で再会を果たし、心から詫び、夜を共にするのでした。 

「雪女」:山へ薪を取りに行った男が帰り道で猛吹雪に遭い山小屋へ避難するのですが、そこで連れだっていたもうひとりが凍死してしまう、ただし単に凍えて死んだのではない、白い着物の女が凍てつく吐息を吹きかけるのを見てしまったのです、女はこのことは誰にも口外するなと男にきつく口止めしました。 

「耳無し芳一の話」:阿弥陀寺に住む芳一という名の盲目の琵琶の名人、他の誰もいない夜に高貴なかたの前で琵琶を披露してくれと迎えに来た男に連れられて行くのでした、翌晩も、雨の晩ですら・・・、次第にやつれる芳一と、その行く先を怪しんで跡をつけてみればそこは墓場、幽霊に魅入られている芳一を救おうと体中に経文を書き、繋がりを絶とうとします。 

「茶碗の中」:本筋は執筆中の物語を途中まで書いて完結させなかった作家の話ですが、副筋ではその途中で終わった物語そのものが展開されるという一風変わった話、それは茶碗に張った水を飲もうとするとそこに見知らぬ男が映っているというもの、ほどなく実体として目の前に現れ、刀で斬りつけるのですが壁の中に消えてしまい何者かは不明のまま、後の夜にその謎の男の家臣を名乗る3人の男がやって来て、主君が斬りつけられて負った傷の恨みは必ずはらすと告げるのでした。


俳優陣の豪華さ、空気感まで伝わってきそうなセットの設えの良さ、人の身のこなしや流麗な言葉、様式美、そして派手な今時の色合いとは全く違う日本の伝統色の鶯茶、桧皮、薄白葱、黒紫・・・、どれもが美しい。

なにより武満徹による音楽と音響効果は凄いです、琵琶の音色には鬼気迫るものがあります、映像を省いても音に捉われてしまいそう。

昨今の血飛沫とびっくり箱のセット品のような痛いか汚いばかりの「怖い映画」とは一線を画す作品で、怖さよりも人の世の儚さや業や情を描く小泉八雲の繊細な物語であり、日本で生まれ育った作家によって誕生して欲しかったとさえ思ったもので悔しさを感じるほど素晴らしい。

個人的に最も良かったのは4話目の「茶碗の中」、見た人はこれをどう解釈するのだろう、その点も興味深い。

それにしても皆若い、三國連太郎も、仲代達矢も、中村嘉葎雄も・・・。

47年前ですから、当たり前なのだけれど。

この映画、強くお薦めします、アナログ世代にはどこかに懐かしさを、デジタル世代には未知で不可思議な世界の有り様を味わって欲しいと思う。

2011年6月3日金曜日

潮汐発電という活用法

開門すべきか閉門とするか、賛成と反対の意見が今もぶつかりあう長崎県の諫早湾干拓事業の水門、ニュース等であの全長7kmに及ぶという潮受堤防の映像を見たことがあるという人は多いと思う。

「こんなものに大金使って!」と評判は悪い、周辺住民の間に妙な軋轢が生まれたと迷惑がる人も少なくないとか、「最初から造らなければよかった」というのは正直な心情の吐露だと思う。

こんなはずじゃなかった、こんなふうになるのなら、と、そう思うのは納得できる。

だが既に造ってしまった、なのでどうにかして上手に利用できないか、そこでその潮受堤防を別な発想で潮汐発電に使ってみてはどうだろう、水門を改造し発電ユニットをそこに仕込むのだ、潮の満ち引きで海水が堤防の内と外を行き来する力でタービンを回して発電するという仕組み。

実は特に珍しい発電方法というわけでもない、世界各地で既に稼働している、中でもフランスはブルターニュのランス川には40年以上稼動している世界最大の同様の施設があるらしい。

幸いにも有明海は満潮と干潮の潮位差が大きいので潮汐発電には向いているのではなかろうか・・・きっとそのはず、想定外の利用法なので得られる電力など微々たるものだとは思うけれど、自然の力を利用した今後の発電方法のひとつとしての実証実験くらいにはなると思う。

それに潮汐発電は発電可能な時間帯と発電量が事前に計算ではっきりと分かる、なぜなら前もって潮の満ち干きの時刻がきちんと把握できるからである。

これは想定外の事態に発電量を左右されやすいもの、たとえば晴れずはずだったのに曇ってしまったような太陽光発電や、しっかりとした風が吹くはずだったのによそ風でお昼寝してしまった風力発電、もっと波が高くなるはずだったのに浮き輪にちゃぷちゃぷで楽しかった波力発電といったものにはないメリットだと思う、計画的な発電が可能なので。

せっかく反対派の意見を押し切って金と時間と技術を注ぎ込んで造ったものだから、今以上の何かしらの役に立って欲しいと思う。

2011年5月20日金曜日

激安スイカ


午前中にお世話になっているいつもの青果業者さんがやってきた、昨日の夕方に注文していた品の配達だった、新たな注文は毎日夕方にFAXでするのでこのタイミングではない。

仕事場で仕入れている野菜のほとんどは県内産で、残りは可能な限り九州産、葉物でも根菜でも、果物でも。

今日は特別に安いスイカがあるからどうですかと訊かれた、そこそこ大きな熊本県産で糖度はかなり高くて中心と外皮近くとの中間点で10度あるというからたいしたもの。

なにより安いのだ、1玉430円というので買わないわけがない、信頼のおける長い付き合いの業者さんなので事前に試食することなく店で使う分を3玉とパートさんらの希望者と私とで5玉、合計8玉を買いました。

この「安くて美味しい」というのがなによりの魅力。

ワケありなスイカらしい、どんなワケなのかと言えば「引き取り手のないスイカ」なのだと言う、引き取り手とはどういう人で、どんな経緯でその機会を失ったかなどについてはややこしそうなので訊かない。

食すのに適さぬ汚損品や、違法な品でないのであればそれで良し、全く問題は無い。

仕事場でお客に出す前に店で働く皆と少しだけ食べてみたのですがシャリ感もしっかりしていて実に甘かった、砂糖とは違うスイカの自然の甘さと香りの爽やかさは毎夏のことながら格別、きっと人工的には作り出せない組み合わせではなかろうか。

自宅では2玉のうち1玉を半分に割って冷蔵庫の中、残り1玉は明日実家に帰る時の土産用。

夏はビールだという人は多かろう、だが私はビールよりもスイカ、暑い外から帰ってきて食べるスイカの美味しさは言いようがないほど、どうしてこんなに美味しいのだろうと思ってしまう。

ちなみに、私はスイカを食べる時は先に外皮+白い部分と食する赤い部分の境に沿って包丁を滑らせて切り離してしまうのだ、そして適当な大きさに切って皿に盛る。

切り離された外皮は三日月型で残り、そのままごみとして捨ててしまう。

後は箸だろうがフォークだろうか食べるだけ、手や口元も汚れず食べやすいのだ。

2011年5月18日水曜日

どこを漂流しているのやら


昨日実家に寄ったばかりだが今日もまた置いてあるはずの古いコミック本を取りに行った、楳図かずおの「漂流教室」、全11巻セットなのだ。

友人との長電話で漫画の話になり、最近のものはさっぱりわからないが、昔は楳図かずおが好きだったという流れから何が面白かったかを訊かれて答えたのが「猫目小僧」と「漂流教室」。

小学生の頃に父が買ってくれた漂流教室は1巻どれも150円くらいで、「こんな気色の悪い漫画を読んで・・・」と一応はぶつぶつ言いながらも買ってくれたような記憶がある。

「怪奇ものが好きだなあ」と私のことを笑いつつも友人は名前くらいは知っているそれを読んでみたいというので漂流教室をしばらく貸すことになった、残念ながら猫目小僧は持っていない。

知人が持っているのなら私が借りて読みたいくらいだ(笑)。<「猫目小僧」

今日のうちに梱包して明日の昼過ぎにでも郵便局から送ろうと考えていたのだが・・・、おかしなことにあるはずの押入れの中に無いのである、全巻まとめてぴったりと納まる箱に入れて保管していたはずなのに。

押入れの奥まで探してみたけれど見つからない、姉が捨ててしまったのではないかと凍り付くような恐ろしいことを言う、6年前の地震の時の破損品や汚損品と一緒に捨ててしまったのではないのかと言うのだ(!)。

まさかそんなことはなかろうと思っていたが、どこを探しても見つからないのでだんだんとそんな気になってきた。

えええ・・・。

地震の時に捨てたものは落ちて破損してしまったCDやDVD、家電品、食器類、・・・押入れの中のコミック本は捨てないと思うのだが。

とにかくもう一度探さねば。


(追記)

結局見つからない・・・、これは隠し鬼の仕業なのか? なので添付の画像はネットからの拝借した。

関谷さま、どうかお許しを。

借りたがっていた友人には見つからないことを伝えてゴメンナサイ、ああ、どこへ行ったのだ、本当に捨ててしまったのか?>私

2011年5月17日火曜日

眩しそうに1人と1匹

仕事帰りに郵便物を受け取りに実家に寄った、時刻は午後6時を少し過ぎた頃、冬とは違って日没はあと1時間ほど経ってからで随分と遅くなった、薄暮でもない低いなりの直射日光で後頭部や背中がぼんやり温かい。

那珂川を渡ってもう少しで実家という地点で近所のおじいさんが白い雑種犬を連れて散歩しているのが見えた、こちらへ向かっている、すぐに私達はすれ違う距離、犬は「コー」という名の老犬である。

コーは今年に入ってすぐに後ろ足が立たなくなり病院に連れて行って診てもらったとそのおじいさんから聞いた、どこが悪かったのかはっきりしないまま春になるとまた歩き出したらしい、獣医は原因はよく分からないが年齢的なものもありそうなので次回同じような状態になると急激に衰えて危ないかもしれないと言われたらしい。

コーを連れたおじいさん、西の空を眺めて眩しそうにしている、オレンジのリードで繋がれたコーはほんの2歩分ほど先から立ち止まり、沈みつつある西陽に照らされているおじいさんを同じように眩しそうに振り返っている、どちらもトボトボとした足取りで、コーのほうが終始おじいさんよりほんの少しだけ先を歩いていた。

一体どちらが連れられているのかわからない。

おじいさんもコーも少し小さくなったように見える、肩幅が狭くなったような、背中が丸くなったような。

実家に着いて郵便物を受け取り、台所で母と少し話をし、再び表に出ればちょうど日没時の午後7時10分過ぎ、自宅へ戻る途中で先ほどのおじいさんのお宅の前を通るとコーを繋いでいたオレンジ色のリードが玄関先の適当な場所に二重の輪にして下げてあった。

コーは室内で飼われているのだ。

飼い主に似ておだやかな犬、吠えたところなど見たことがない、福岡市民体育館の駐輪場付近に捨てられていた子犬だったらしい、利口で大人しく成犬になっても初対面だろうが子供だろうが触られてもまばたきをしながらゆったりとしている犬なのだ。

犬だって歳を取る、最近は固いものは噛みにくそうにしているらしい、長生きしてほしいなと思う。

2011年5月11日水曜日

骨とボイジャー

先日の鹿児島旅行、フェリーで渡った桜島までのことを思い出していた。

船上から手摺にもたれて両腕を組んだような格好で眼下を眺める若い2人がいて、背後から見ているとこちらから向かって左の男が「あっ」と声をあげる、何かを落としてしまったらしく、そのことを隣にいたもうひとりの連れの男に言う。

その男は笑いながら「潜って取ってこい」と顎で海を指す、冗談めいたやりとりには全く緊迫感が無い、落し物はたいした物ではないのであろう。

何を落としたのかは分からぬが、持ち主の手から離れたそれはほどなく湾の底へ転がる。

かなり昔のこと、どこぞの国の豪華客船から海溝レベルの深いあたりで亡くなった夫の骨を散骨した未亡人がいたという話を聞いたことがある、細かく砕いた骨はかなり長い時間をかけてゆっくりゆっくり海底に沈むという。

海底に着けば誰の目にも留まらず、光さえ浴びず、激流に揉まれることもなく、ひっそりと時を刻むことになる、夫の遺言あっての行いらしい。

まるでボイジャーのようだ、NASAによる1号と2号の無人探査機のあれ。

たとえば1号、人類が作った物のうちで最も遠い場所にあるはずで、とうに海王星や冥王星を越えて外縁天体に入り、今なお毎秒約17kmの速さで飛び続けている、太陽も点のように小さくなった暗い宇宙空間を更に深く遠い彼方へと飛んで行く。

機械に意思などないけれど、骨が散骨を願う人の意思を借りて海底に沈んだように、探査機もまた宇宙を切り開こうとする人の意思を借りて気が遠くなるほど離れた場所へ飛び続ける。

さぞ心細いことだろう。

骨は火葬によって無機物へと化けて極限の水圧下で徐々に細かく崩壊し海底と同化する、ボイジャーは飛び続け、ついには太陽風の庇護から外れて過酷な空間に入り、ついに人類はその跡を追えずに宇宙空間と同化する。

これら2つはある意味似ていて、手の届かぬ遥か遠い所での存在を思うと切なさに似たものを覚えてしまう。

こうやってまとめの1行を書く間にも200kmほども遠ざかっているボイジャー1号、向かう先にはどんな世界が待っているのだろう、まことに果てしなき旅である。

2011年4月29日金曜日

口達者

今日は午前中から母親を連れて北九州の若松まで行った、目的地は母の知り合いのお宅、ひとつ年上で長い付き合いの「まゆみさん」という人、それは本名ではない、大連の女学校時代の演劇でそういう名前の役を演じたところから付いたらしい。

そう、中国は大連の女学校時代の友人なのです、古いも古い、60年以上前からの知り合い。

そのまゆみさん、今日から5月3日の午前中までうちの実家で過ごすこととなった、これはまゆみさんのご家族が3日に博多どんたく目的で福岡市へやって来るまで「家族が来るまでうちに遊びにいらっしゃいよ」・・・と、うちの母が誘ったからだ。

さてその初日、まゆみさんを迎えに行った若松から帰り着く博多の実家までの間、きっと2人とも疲れてぐったりするのではないかという心配は全くの杞憂に終わり、どちらもうるさいくらいによく喋る。

それは実家に着いてもそう、まゆみさんは姉によく話しかけ、からかって笑っていました、楽しそう。

夕食はなんでも放りこむ勝手鍋、今日は敢て一旦凍らせた豆腐に鶏肉と深ネギ、そして山のような水菜、そして細切りの昆布、残り物の油揚げ、他はメバルの刺し身。

食べながらもよく喋る2人、元気ではあるがやはり小さくなったなと母親を見ていて思う、肩幅が狭くなり、背が縮んで低くなり、首や腕が細くなり、背中も少し丸くなったような。

なにより手が小さくなったと思う、両手の親指の付け根あたりが痩せたような感じもする、それでも完全な健康体とは言えないが、こうやって笑って暮らしてゆける今の姿を見ていてほっとする。

口達者な2人はこの日の為に買っておいた冷酒の小さな瓶を冷蔵庫から取り出して飲んでいました、飲むといっても小さなグラスにほんの少しだけ、口に含んでは「くしゃみが出そう」だとか、ヨシマサさん(まゆみさんの亡くなった旦那さん)ならラッパ飲みしそうだとか言いながら。

どちらも元気で少しでも長生きして欲しいなと思う。

2011年4月28日木曜日

映画:「時をかける少女」(アニメ)

やはり新作よりも古いか予備知識の無い映画に食指が動く。

2006年公開で時期が「ゲド戦記」と重なったらしい不遇なアニメ映画、もしそうでなかったらそこそこヒットしていそうな気がするのは私だけではないはず、レンタルショップで見つけてDVDを借りてきての感想。

これよりも20年以上昔に原田知世主演で同タイトルの映画があったが、それと同じような展開かどうかは観ていないので不明。

また、この映画の主人公役の吹き替えをしている仲里依紗(「純喫茶磯辺」の娘役)はこのアニメの数年後に公開された実写版の同タイトルの主人公役として出演しているという。


あらすじ:

物語の主人公は17歳の女子高校生、ある夏の日、学校の理科の実験室で床に落ちている小さな物を拾おうと屈んだ際に自分以外の誰もいないはずの人影に驚いて転倒、一瞬意識が飛び、正気に戻ればただ呆然とするばかり、これが全ての発端。 

同日、その女子高生は帰宅途中の坂道で自転車のブレーキが故障、どうにも事態を回避できないまま降りた遮断機へ突っ込み、そこへやって来た列車にはねられて・・・しまうはずなのですが気が付けば何故か遮断機からずっと手前にいて事故に遭うほんの少し前という状態。

その女子高生はそれをきっかけに自分の思う通りに時間を跳躍=タイムリープできる能力に気付き、利用し始めるのでした。


主人公がミステリアスで可憐な少女ではなく男子顔負けの元気でハツラツとした感じなのが大変好ましい、タイムリープ後に荒っぽく転がり現れる様が実に似合うのはそのせい。

見ているうちに己の為の行いは意図する/しないに関わらず第三者へ影響することや、いくら時間を遡って物事をやり直そうとしても無理なことはあるということ。

そして、どこか己の行いは己に戻ってくるという因果応報の考えに通じるものがあり、それがあっさりとした台詞を基にした物語の展開で描かれている。

諸々を踏まえた上で繋がる物語の終盤、目先の都合だけで浪費していたタイムリープの残り回数も、最後の1回の価値はそれまでの全てより重かったと思う。

能力を使い切ってしまった女子高生、好きな人が「未来で待っている」と言って去っていった、女子高生はその未来での再開を決意するのだけれど、その目的はたぶん果たせないままなのだろうな・・・と個人的には思っている、そう考えると非常に切ないラストだった。

美術館勤務の叔母の存在は実は重要。

先進的なものではなく身近で生活感に溢れる光景を微妙な色加減で見せてくれる美しさがこの映画にはあります、感極まって泣きそうになる映画ではないが、切なさで少しだけ胸が痛くなるような映画だった。

この映画については「アニメ 時をかける少女」で検索するとヒットする、ご興味があればどうぞ。>皆様

2011年4月18日月曜日

友人の見た夢の話

友人から夢の話を聞いて驚いた。

昨日の午後、友人は昼食後に横になってテレビを見ていたらそのまま眠ってしまい夢を見たという、その中では実家の両親が自分のことを話していたらしい。

父親はテレビを見ながら、そして母親は台所で皿を洗っている、2人はそのままの状態で話をしていて、

「○○(友人の名前)は今度(ゴールデンウィーク)帰ってくるのか?」 
「先月帰ってきたからたぶん帰ってこないわよ、また沖縄に行くんじゃないの?」 
「帰ってくるなら●●(近所の割烹)でメシの予約でも入れておかないか」 
「訊いてみましょうか」

そんなやりとりの後で携帯を取り出して息子へ電話を掛ける母親、こちらではすぐさま携帯が鳴る、その着信音がもの凄く大きな音だったので驚いて目を覚ませば携帯は現実に鳴っていて、掛けてきた相手は現実の友人の母親。

「連休は帰ってくるの?」と訊かれたらしい。

友人は大変驚いたそうですが、この話を聞いたこちらも驚いた。

そんなこともあるのか・・・。

目がさめた時に覚えていないことが多いだけで誰しも毎日夢は見るらしい、その展開に驚いて目がさめると覚えていることも多い、私の場合は二度寝すると何か夢を見たような記憶はあっても内容はさっぱり覚えていない。

時に長い長い夢を見る、転寝のつもりでもそんな長い夢を見る、ところが、目がさめてみると僅か10分も経っていない場合がある、夢そのものは2時間くらいの長尺だったはずなのに、眠っている間の頭の中はいったいどうなっているのだろうか。

記憶に強烈に残るものだってある、そういうのはたいてい同じ夢を見ていたりする、繰り返し同じ夢を見るので記憶に残ってしまうのだ、また、そういう話は展開が終わるのも同じ所なのだが、結末の肝心な部分を思い出せないでいたりする、もどかしい。

同じ夢を見ていると、眠っていて夢を見ているのを自覚している、「ああ、これは前にも見た夢だ、今は眠っているのだ」と。

友人はその現実とシンクロするような夢のことをたぶんずっと忘れないだろうと思う、不思議な夢の話だった。

2011年4月14日木曜日

40KHzのそちらでは

仕事場に設置している時計は小型のシンプルなアナログ表示の電波時計、アナログ表示を選んだのは時間の流れが掴みやすく、電波時計にしたのは言わずもがな非常に正確であるから。

買ったのは天神の電器店、電波時計を探していると言うとこれはどうですかと2万円もするのを薦めてきた、毎正時に人形が出てきてくれるというのだ、そして鐘の音が鳴るそうで。

シンプルなものを探しているので断った、結局今使っている数千円のものしたが満足している。

思ったよりも電池の持ちも良さそうだし。

その時計は日々微塵の誤差もなく正午を告げてくれる、タイムカードから開店の時計、パートさんの腕時計の誤差修正用にと仕事場の全ての時刻の標準になっている。

昔なら電話で117かテレビの時報が最も正確な基準だったけれど。

ふと思った、日本には電波時計に正しく時刻を知らせる基準となる電波を長波を使って2ヶ所から吹き流している、ひとつは「長波標準電波施設 はがね山標準電波送信所」 で佐賀と福岡の県境に羽金山(はがねやま)山頂から、もうひとつは「長波標準電波施設 おおたかどや山標準電波送信所」 で福島県にある大鷹鳥谷山(おおたかどややま)の山頂から。

九州はもちろんのこと関東あたりまでをカバーする羽金山からの60KHzのそれが受信できるならば今も正確に時を刻んでいるはずだが、それが難しい更に遠くや奥まった場所では内蔵クォーツに切り替わって動作しているはず、今はもうそれなりのズレが生じているのではなかろうか。

福島の施設が避難区域内にあり、現在電波が停波中なので。

震災と原発被害のせいでいろんなものが止まったままなのだと思う、離れた九州ですら影響があるくらいなので、当の被災地では何もできない状態と言ってもいい程なのだろう、いろんな不自由が重なると、いったいどれから解決を試みてよいのかすらわからなくなることすらある、さぞかしストレスだろう。

それら電波時計が再び正しい時刻を取り戻すまであとどれくらいかかるものか、いろんな意味を含めて早くそういう日が戻って欲しいなと滑るような秒針を仕事場で見ながらそう思う。

2011年4月12日火曜日

川面を覗き込む人たち


午後は所用でJR箱崎駅近くへ、たった4台しか停められぬコイン式の駐車場に車を停めて歩くこと数分、築4年の3階建ての某コーポへ不動産業者の人に会いに行った。

近々甥がそこへ引っ越すので保証人である身としては住まいそのものや周辺の様子を知りたいし、管理会社の人や大家にも会っておきたい。

そこで要した時間は思ったより早く終わって45分ほど、ごみの持ち出し日を確認し、予め補修しておいて欲しいヶ所を2つ指摘し、バイク置き場の確保も確認した、あとは・・・甥に任せておこう。

保証人として電話以外にもうひとつの連絡手段が欲しいと言うと、不動産業者、管理会社、大家それぞれがメールアドレスを教えてくれた、これなら電話と違ってもっと時間的に自由に連絡がつくだろう、なにより電話に出れぬ場合でもメールであればお互いメッセージを押し込んでおける、受取人が暇になった時に読んでくれるので便利なはずだ。

甥が仲間でも呼んで酔って騒いでいたら連絡してくれと言うと分かりましたと言って笑われた。

駐車場へ戻る途中の川沿い、その川の名は宇美川、掛かる橋の名は覚えていない、その橋の上から通行人が立ち止まるか歩みを遅らせて川面を覗いているのに気がついた。

何を見ているのだろう、魚か?

いや、水の色を見ていたのだった、ピートモスのせいで紅茶のようになっているアメリカのどこかの川のような色、色はついているけれど濁ってはいない、これは一体何の色だろう?

きっといつもはこんな色ではないから通行人が下を覗いているのだろうと思う、普段は澄んだ川・・・というわけでもなさそうだが。

部分的に着色していない透明な水の場所もあり、そこには小さな魚が泳いでいるのが透けて見えていた。

黄砂も抜けて空は青い、午後2時頃だったので日差しは強く、ここ数日の日差しでシャツから出た手首から先が一層のこと黒くなって日焼けの色だけは早くも初夏のそれ。

カップホルダーの飲み物が温かくなっていてもう飲めない、窓を開けていても車の中は暑い日だった。

2011年3月22日火曜日

今だからこそ使う

大震災の影響で世の中自粛ムードが強い、そんなものまで自粛で止めてしまうのかと思うものも正直あるにはある、身近なところではお昼にやって来る馴染みのお客さんの職場では今年の花見は中止となったという。

もっとも職場の花見は義務的なもので嫌々出席だったそうなので内心喜んでいるらしいのだが。

そういえばアメリカドラマが1話放送されないことになりそうなのだ、これも自粛だ、なんでも輪番停電をトリックにした殺人事件の話だったらしい、日本でも輪番停電が実施されているから不謹慎だと判断したのだろう、ドラマの名は「クリミナル・マインド FBI行動分析課」だったかな。

だが、それは考えすぎという気がする。

自粛の気持ちも解らないではないけれど、あれもこれも自粛で静かにしているばかりでは世の中に金が回らないし皆のストレスも溜まる、発散の場と機会が減るからだ。

震災による直接の影響を受けなかった地域だけでも逆に頑張らないと景気がますます悪くなりそう、民主党政権なので力不足で動けず頑張れず当てにならず頼りないし。

そこで、そのうちにと考えていた幾つかを前倒しで買おうと決めた、金を回すのである、不謹慎だなどとは微塵も思わない、そう、今だからこそ買う=金を使います、微々たる金額だけどプラス効果に繋がるはず。

実家用の圧力鍋、実家とお揃いのシリコンスチーマー、買い増しの単三型ニッケル水素充電池、LED電球8個、車のタイヤ交換、カーナビのアップデータ、何れの品も日本製(これ重要)。

まあ、どれも見事に少額商品なのだが。

他はゴールデンウイークのJR+宿泊先の予約、そして食事会等で増える外食。

単に来月中には買おうかと考えていたものを今月中に前倒ししただけなので、買ってしまえばこの後は金を使う機会も減るのだが、その頃は自粛と買い控えに疲れた他の人たちが動き出して頑張ってくれる・・・と、期待しているのだ。

後はどうぞよろしくお願いします!>その方々

2011年3月21日月曜日

安堵

今日、震災後にずっと連絡が取れなくなっていた八戸の友人から連絡がきた。

音信不通だった今までのなんと長かったことか、正直なことを書くと、「もしや・・・」という思いはあったのだ。

連絡が遅れたのは仕事中の地震ですぐに避難したためPHSを職場に置いたままで、避難指示が出ていたのでそこへ近寄ることもできずに母親の住む実家(青森県内)で過ごしていたとか。

こちらの電話番号を暗記しておらず、そのために連絡が取れなかったのだという、明日からは仕事も再開らしく、それに備えて今日の午前中に八戸に戻り、自分の住まいと仕事場に立ち寄ってのPHSからの連絡。

ただ、仕事を再開とは言っても職場付近の道路が傷んでいて車の通行も不自由で、職場内もそれなりに整理しないと仕事ができないというので数日間は回復作業のようなものだと言っていた。

なんでも通りの一部が盛り上がっていたり上下に波打っていたり、ひび割れもあって怖いと言う、確かに、東日本大震災のような大きな地震でなくても福岡でも数年前の地震では一部の道路が昆布のように波打っていたのだ、友人が怖いという気持ちはよく分かる。

それに、職場の壁が一部無くなって(!)、今は分厚いビニールシートで塞いでいるのだという、色のついたシートが出に入らなかったので透明のもので、外から丸見えになっているらしい、一体どうなっているのだ。

なにしろ被害が甚大過ぎて会社は今後の見通しが立たないらしい、とりあえず再開してみるといったニュアンスで、もしうまくゆかなければ潰れるだろうとも言っていた、再就職先だって探さなくてはならない、前途多難である。

加えて今は民主党政権なのだ、全然頼れない、震災に乗じて日本を中国や韓国に切り売りしてしまわないか心配だ、自民党政権で麻生さんや安倍さんが総理だったらな・・・と思う。

とりあえず現時点で無事ならそれでよかった、これで安心した、急激な安堵感でめまいを感じたような気がした。

本当によかった。

2011年3月2日水曜日

開花予想と越冬色の虫


夕方のニュースで桜の開花予想が今月22日であるとの話を知った、異常に早かった昨年よりは8日遅いそうで。

その話を同じ頃に新幹線でやってくる札幌の友人に伝えると「桜を見られるかもしれない」と大喜びしている、札幌ではまだまだ先のことなので。

寒の戻りも予報が新しくなる度に手ぬるいものに修正され、高度を増しつつある日差しと、随分と近くに張り出してきた太平洋高気圧の影響が強くなってきた、そう、それは日差しを背中で受けてみると肩の温かさで実感する。

日暮れも遅くなり、仕事が終わって寄り道せずに帰宅すれば薄暮のお陰で台所はまだまだ明るい、換気のため開け放し、暫くの後に閉めてみれば虫を閉じ込めてしまっているではないか。

時折、ガラス面に沿って上下するその虫はヤマトクサカゲロウ、本来は草色の虫ですが成虫越冬する際には色がオレンジ色に変化する、この虫はどこからか目覚めて迷い込んだに違いない。

束の間動きを止めたところで1枚パチリ。

そこへ実家からの電話、普段掛かってくることなどあまりないので何事かと思えば、「博多駅行ってみた?」。

今日は仕事なので行けるわけがなく、そもそも今日はプレオープンなので誰でも入店できるわけではない、テレビで放送していたからもう誰でも行けるのだと勘違いしたらしい。

本オープンは明日か、新しいものが好きな福岡市民なのでドッと押し寄せて来ると思う、パニックのような凄まじい混雑ぶりが目に浮かぶようで・・・。

今は特に急ぎの用事もないので新しくなった博多駅の散策はもう少し先で充分、オープンのお祭り騒ぎが一段落した頃に行ってみようと思う。

そういえば隣の博多郵便局と、そのまた隣の博多ビルも再開発されることになっている、新しい博多駅とは繋がるのだろうか、徐々にこのエリアも大きくなりそう。

天神と客の取り合い合戦が始まるかな、キャナルシティ博多を挟んで上手に回遊できるようになれば一番良いのだが。

ああ、リバレインがますます取り残されてしまう。

2011年2月12日土曜日

犯人はお前だ!


酒が好きなくせに弱いという飯塚の下戸を誘って行く予定だった城島(久留米)の酒蔵開きは懸念していた通りの悪天候となりやむなく中止、自然相手なのでこればかりは仕方がない、それにしても残念。

酒蔵開きはしばらくの間あちこちで催されるので他所のを期待しよう。

福岡は午前中こそチラホラ程度の雪だったのだが、正午あたりからは視界が悪くなるほどでかなりの降りよう、しかも、夕方近くからはそれまでの綿のようなフワフワしたものからギュッと固めたような粒状に変化、そのせいで一旦降り始めると溶けることなくあれよあれよと言う間に積もってしまう。

この雪の粒、固いので踏むと滑りそうで怖い。

せっかくの連休を台無しにした低気圧を地上天気図(添付画像1枚目)に探してみれば・・・はっきりしない、そう、こいつは高層天気図(2枚目)にだと姿を現す切離低気圧とも呼ばれる寒冷低気圧なのだ、北朝鮮あたりからロシア南部の大陸に中心を持つ日本海にせり出した低気圧、犯人はお前だ!

遠い雷を響かせ、暗い雲で空を覆い、長時間雪を降らせて、しかもノロノロと長居する嫌な低気圧。

当然のことで明日も居座り、明後日になってもまだ日本の近くにあるはず・・・、月曜の朝は雨か雪の出勤かもしれない、憂鬱なり。

雨は嫌いだが雪はなおさらである、靴や裾が濡れたり着衣が湿るのが不快なのだ、雪が白くてきれいだから好きだという人は多いが、私には裾を濡らす嫌な気象現象なのである。

寒いのは平気なのだが。

福岡は雪に不慣れである、10cmも積もればニュースのトップで登場するくらいで交通がマヒするのだ、北陸から遠い地方の人からすれば冗談のような話であろうが。

ちなみに、私の記憶の中で最も積雪したのは小学生の頃で、確か20cmくらいだったような・・・、子供の体にはもっと積もったような感じだったが福岡管区気象台の発表だったので間違いはない。

普通でも遅い路面電車(当時はまだ路面電車が走っていた)は乱れ、車の事故も多発し、夕方のニュースはこの話ばかりだった。

もう今はあのような雪の積もりかたはしないだろうけど、それでも雪には弱いのである。

さて、この寒冷低気圧は何日居座って東北や北海道でどれほど雪を降らせるものか、現地の人は毎日の雪かきなどで大変だろうなと思う。

青森の知人は日に2度の雪かきをするのだと言っていた、しないと大変なことになるらしい、雪かきにかかる時間も体力もまた大変なものである。

2011年1月30日日曜日

美味しくなった冷凍食品

今日は友人宅で朝からゲームのオンライン対戦で体温も血圧もやや上がり気味、選んだのはPS3を使っての「ボンバーマンウルトラ」、過去に数々の遺恨(笑)を残したボンバーマンシリーズのPS3版なのだ。

改良を要望したくなるやや難のあるシステムながら時間の経つのも忘れて充分楽しめた、ダウンロード販売で1,000円はお手頃価格だと言える。

はたと気付けばもう正午過ぎではないか、時計に目をやったのはお腹がすいたせいだと思う、腹時計はなかなか正確なのだ、そろそろゲームを一時中断し昼食にでもと友人を誘う。

が、窓の外を見れば雨か雪でも降りそうで薄暗い、道は車で混んでいて候補に挙がったファミレスまでは結構時間が掛かりそう、そこで、車道を挟んだ向いにあるスーパーで何か買って部屋で食べようということになった。

スーパーでは友人が「これでもいい?」と冷凍食品をこちらに見せて訊く、はい、それでお願いします、今日はどちらも4割り引きで、しかも結構美味しいらしい。

おやつにプリンも買って部屋に戻り、買ってきたあんかけラーメンとかしわおにぎりを簡単調理、・・・おにぎりはレンジでチンするだけですが。

両方合わせて10分ほどという手軽さ、食べてみればそこそこ美味しい、素材以外で料理として完成された冷凍食品を食べたのはかなり前のことで、その時の記憶があるので冷凍食品=かなり不味いというイメージしかなかったのだが、今日のはどちらも一般家庭で食べるものとしては問題ないレベル。

同じようにレンジでチンするだけのお好み焼きも意外と美味しいらしい、いろいろあるものだ。

数年を経て冷凍食品も研究されて美味しくなったということか、独り住まいでたまに手抜きで食事を済ませたいなら代替として充分成り立ちそう。

さて、昼食も終わって暫くの後、再びオンライン対戦に戻って・・・みようとしたら満腹感から眠気に襲われてお昼寝の時間。

目が覚めて完全復帰してみるとマナーの悪い輩のせいで私と友人は共に少しイライラ、久々にゲームで熱くなったひとときだった。

2011年1月17日月曜日

髭と就業規則

地元ではそれなりに知られた食品販売会社に勤務する友人、新年度から食品加工の現場に異動になることがほぼ決定らしい。

7年間事務処理に携わってきたのだけれど、勤務中にSNS(どこかは不明)にアクセスしていたのが発覚してからというもの、ことあるごとに商品出荷や原料荷受の検品作業を手伝いに行けと上司から指示されるようになったという。

・・・今は社員がどこにアクセスしているか、どことメールのやりとりをしているか等がたちどころに判る仕組みがあり、それを導入するところが増えたので発覚したのも頷ける。