2011年3月21日月曜日

安堵

今日、震災後にずっと連絡が取れなくなっていた八戸の友人から連絡がきた。

音信不通だった今までのなんと長かったことか、正直なことを書くと、「もしや・・・」という思いはあったのだ。

連絡が遅れたのは仕事中の地震ですぐに避難したためPHSを職場に置いたままで、避難指示が出ていたのでそこへ近寄ることもできずに母親の住む実家(青森県内)で過ごしていたとか。

こちらの電話番号を暗記しておらず、そのために連絡が取れなかったのだという、明日からは仕事も再開らしく、それに備えて今日の午前中に八戸に戻り、自分の住まいと仕事場に立ち寄ってのPHSからの連絡。

ただ、仕事を再開とは言っても職場付近の道路が傷んでいて車の通行も不自由で、職場内もそれなりに整理しないと仕事ができないというので数日間は回復作業のようなものだと言っていた。

なんでも通りの一部が盛り上がっていたり上下に波打っていたり、ひび割れもあって怖いと言う、確かに、東日本大震災のような大きな地震でなくても福岡でも数年前の地震では一部の道路が昆布のように波打っていたのだ、友人が怖いという気持ちはよく分かる。

それに、職場の壁が一部無くなって(!)、今は分厚いビニールシートで塞いでいるのだという、色のついたシートが出に入らなかったので透明のもので、外から丸見えになっているらしい、一体どうなっているのだ。

なにしろ被害が甚大過ぎて会社は今後の見通しが立たないらしい、とりあえず再開してみるといったニュアンスで、もしうまくゆかなければ潰れるだろうとも言っていた、再就職先だって探さなくてはならない、前途多難である。

加えて今は民主党政権なのだ、全然頼れない、震災に乗じて日本を中国や韓国に切り売りしてしまわないか心配だ、自民党政権で麻生さんや安倍さんが総理だったらな・・・と思う。

とりあえず現時点で無事ならそれでよかった、これで安心した、急激な安堵感でめまいを感じたような気がした。

本当によかった。