2014年8月16日土曜日

「こわい」

昔と違ってテレビから夏の怪談番組がめっきり減った、ドキュメント風なもの、語り部調、映画の類まで軒並みである。

減った理由は様々ではあると思うが、怪談好きの一人としては寂しい限り。

夏休みには昼のバラエティ番組でも毎週のように怖かったり不思議な話の放送をしていたが、今はお笑いタレントによるよくわからない番組だけになってしまった。

意外なことにNHKが面白い特別番組を放送することがある、たとえば2年続けて盆の頃に放送した語り部形式の「日本怪談百物語」や小泉八雲についての番組、オムニバス形式のドラマ「おそろし ~三島屋変調百物語」(放送予定)など。

私は、NHKには怪談ネタが好きな人がいるのだと思っている(笑)。

特に最初に挙げた日本怪談百物語は秀逸だった、CG満載の映像で見せるのではない、語り部の読む演技力のみの勝負で、同じ話を聞いても頭に思い描く怖い光景は人それぞれだと思う。

だが、そういった場合、誰しも意識することなく仕入れた話の筋に自分が最も怖いと思う光景を絡めるように自分で思い描いてしまうものなのだ、なので話だけを聞いて怖さにおののくというのは内側から湧き上がる怖さなのである、これは映像で見せられるよりも長く尾を引く。

子供の頃の、見つめる静かな闇夜の奥に見えてはいけない異界のものが見えてきそうな思いに足が竦むような怖さは自分自身の情操教育に役だっていたはずだと今では思う。

あの闇夜から連想や想像する怖さの対象は、どうにも抗えない自然への畏怖の念に重なるものがあり、今に至るまでその思いは崩れぬままなのである。

子供には奥底の欠片すら見えぬ溺れ沈みそうな暗闇の怖さを教えてあげて欲しい、形を成さぬ概念だけにしろ「こわい」という感覚を養って欲しい。

目に見えるものや直に触れることができるものしか信用しない子供が増えた今、もっと視野を広げ、感性豊かな人として成長してくれればと思っているのだ。

そして、願わくば大人になった時に、己が暗闇の怖さに震え、自然と自分との距離を知った時のように後世を担う子供らに「こわい」という感覚を教えて欲しいのだ。