30年以上も前にNHKで放送されたドラマを思い出してみる、向田邦子脚本の「阿修羅のごとく」というドラマである。
4人の娘の母親である竹沢家の妻が唱歌など口ずさみながら夫のコートを手入れしているシーン、そのポケットから出てきた物は夫の愛人の子のものである車のおもちゃ、それを手に取りしばしゆっくりと愛でていたのにだが、突如としてそれまでの穏やかさの後ろから内に秘めたる阿修羅そのものが現れて妻の形相は一変。
夫と、夫が密会している愛人への鬱積していた怒りや憎しみを叩きつけるかのごとくおもちゃを部屋の奥へ投げつける妻、画面に映るのは襖に突き刺さったままのおもちゃだけだった。
この展開を観ていた私はぞっとした、それと同時に胸を突かれるような、えぐられるような感覚にたじろいでしまったのだった、余計な台詞やBGMも無い演技だけの表現なのだが胸の内が有り有りと伝わってきて痛いほどだったのをはっきりと覚えている。
優れた脚本と、脚本をしっかり理解している監督と、監督の要求を解っている女優が揃うと凄い作品になるという良い実例だと思う。
そして今、私はNHKの朝ドラも毎日観ている、「まれ」というドラマだ。
残念なことにこれがあまり面白くないのだ、行き当たりばったりな展開がいつも都合良く回ってくる上に、「さあ、ここで感動してください」とBGMで盛り上げようとする昨今の押し付けがましい演出そのままな手法に興醒めしてしまうのである。
折角のキャストが台無しになってしまっている、勿体ない。
いつの頃からか日本のドラマは劇画調のものが増えた、受け答えが大袈裟でドタバタしていて疲れるのだ、もしや目を剥いた極端な形相を画面いっぱいのアップで映し出して声を荒げれば凄い演技なのだと作り手が勘違いしているのではなかろうか。
現実において人とのやりとりにはそういうものは実は少ない、なのでドラマの中の世界が極端になればなるほど現実味は薄れる、実写版コミックを眺めている気になってくるのだ。
実験的に逆の極端なドラマなど出てこないだろうか、たとえば暗い背景にスポットライトに浮かぶ椅子に腰かけた2人が離れて座り、そのやりとりを延々と見せるようなドラマ、2人は姉妹でも良し、会社の同僚でも良し、とにかく相容れぬ2人だという前提は必須、そんな2人の視線と表情と台詞だけのドラマを観てみたいものである。
演技を足すならせいぜい回想シーン程度として。
思わず見入ってしまい、次回を待ちわびるドラマに出てきて欲しい今日この頃である。