2015年5月14日木曜日

「チキン」と「かしわ」

低い雲混じりの曇天なので雨が近そうで、そのくせぼんやりと自分の影ができるくらいの薄日が射しているようなそんな午後、仕事を終えて自宅か買い物かの東とは逆の西へ向かった、行く先は慣れか散歩コース、舞鶴公園から大濠公園である。

予報では確か明日からしばらくは雨だった、梅雨も迫って雨の降らない日のうちに歩いてきたのだ。

夏日ともなるとさすがに半袖姿のほうが多い、日陰でぼんやり過ごすのはちょうど良いが歩くと汗ばむくらいで暑かった、冬の間は北風に震えながら
歩いていた日もあったというのに、季節はしっかり巡っている。

舞鶴公園と大濠公園との合流部、デメテル像から左へ曲がってスタバの前→気象台側→中之島→ボートハウス側→デメテル像という順に歩いてきたのだが、中之島の松のあるエリアではハルゼミの鳴き声がかろうじて聞けた、昔はもっとしっかりと聞けたのだが今はハルゼミは数を減らしているようで全く聞けぬ日さえあったりする。

何故だろう? 松食い虫対策で薬でも散布でもされているのか、いや、池に入ると魚に影響するのでそれはないか・・・、んん、はっきりとは分からないがハルゼミにとっては今や狭き楽園なのだろう。

橋と島を渡って周回路(大濠公園は園をグルリと周回できる園路がきちんと整備されている)に戻ってボートハウスのあたり、ここでよく思い出すのは私がそこで人生初のケンタッキーフライドチキンを食べたということ(笑)。

1975年に福岡博覧会が開かれたその公園、仮設の店舗をその辺りに構えていて、いい香りに誘われて「フライドチキンって何だろう?」と博覧会会場の女性警備員(主に迷子の保護と世話で大忙し)をしていた母が休憩時間に連れて行ってくれたのだった。

私がまだ小学生だった頃である。

「チキンって”かしわ”のこと?」と訊いた母に「”かしわ”ですか?」と答える制服を着た店の男性従業員、あとから思うにあの店員さんは福岡の人ではなかったのかもしれない、母の問いに笑顔で「はい、骨付きのままの鶏肉です」と答えたのは奥にいた女性従業員だった。

鶏肉を「かしわ」と呼ぶのはどのあたりまでだろう?

大阪は間違いなく言う、それより東の、たとえば愛知県ではどうだろう、東京まで行くと使わぬ言葉なのだと解釈している、以前に加入していたインターネットプロバイダの会報誌に載っていたエッセイでそれを知った。

なんでも、国際線のキャビンアテンダント(当時はスチュワーデスと書かれていた)をしていた生まれも育ちも東京だという女性執筆者が、関西からの男性グループの乗客員に機内食のことで訊かれた際に「かしわ」という言葉を初めて耳にし「あの、お客様、”かしわ”って何でしょう?」と訊き返して「このねーちゃん”かしわ”も知らんのか」と笑われて、以後、到着するまで「かしわのねーちゃん」と呼ばれたという話だった。

都心部を挟んで自宅方面とは逆なので大濠公園には仕事が終わってからの散歩か花火大会でしか来ないけれど、ボートハウス辺りではいつも福岡博覧会の時を思い出す、もっとも、覚えているのはケンタッキーフライドチキンが美味しかったことと池の中に作られていた大きな恐竜のレプリカが時々口から水を吐くことだけであるが。

デメテル像の地点まで戻り、再び舞鶴公園に入って元来た道を逆に辿る、リードを付けていない小型犬が足元にじゃれついて来て踏みつけそうになった、ああ危ない。

昭和通りに出て天神まで歩いて散歩の締めくくり、そこから100円バスで自宅に戻った、次の散歩は来週か、天気や時間との勘案で。