雨の心配も無くなった午後、出掛ける道すがらすっかり廃れた商店街を通り抜けようとした、昔はいろんな店が商いをしていて人も多かったが、近くに大型の商業施設やスーパーが数を増す毎に人は減り、おのずと店も減り、そしてマンションが増えていった場所である。
そんな中で古参の八百屋は営業していた。
そこでは時々買い物をする、今日は春キャベツが安かったのでそれを1玉と生姜を買った、「にんにくを胡麻油で炒めて香りが出たら手で雑にちぎった春キャベツを軽く火が通るくらいにすると美味しいよ」とその店の奥さんが教えてくれた。
味付けはシンプルに塩コショウが一番だと言う。
最初にその店を利用したのは三十路の始め頃だった、近所にはライバルの八百屋が数軒あった時代のことである、競合するようなスーパーもなく、商店街は付近で暮らす人たちの食料庫であり情報交換の場だった。
時は進んで四十路に入った頃のこと、その店のご主人が「いつも買いに来てくれるから今日はこれ奥さんにおまけ」と袋の中に宮崎産のしいたけを入れてくれたことがある、「私は独身ですよ、おまけ悪いからいいです」と返そうとすると「独身でしたか、勿体ない(独身なのが)、しいたけ食べてよ」と結局くれたのである。
ご主人さんは私の名を訊いた、「○○と言います」と答えると「○○さん、しいたけ食べてよ」と笑って言った。
私がそれなりの年代だったので、その他大勢がそうであるように奥さんがいて子供がいて・・・という家庭持ちだと思ったのだろう。
そのご主人の後ろから奥さんが「いらないこと言わなくていいから」と窘めて私には目で詫びた、私はなんにも気にしなかったけど。
その頃だろうか、店には店員さんが1人増えた、そのご夫婦の息子さんだ、主にバイクでの配達が多かったようだが、時には店に立たせ「うちの息子です、どうぞよろしくお願いします」とご主人さんが馴染み客に挨拶をしていたのを覚えている。
私にもそう言って息子さんを紹介した。
だが、私は初対面ではなくとうに知っていたのである、その息子さんはゲイの集まる店のお客さんだった、私と同じくそうなのだ、週末に行けばカウンターの列のどこかに居合わせることも多くあり、年代は若干違うがそんな差など意識せず、ただ皆と一緒に飲みながら気負わぬ話をして笑える仲間だったのだ。
それからしばらくの後、いつもの店に行くとその息子さんが私を待っていた、真顔で「謝らなくてはならないことがあります」と言ってきたのだ、なにごとだと訊けば、ついうっかり私もゲイであることを両親に明かしてしまったのだと言う。
早く結婚しろ、見合いはどうだと何度も言う父親=八百屋のご主人がうるさくて自分のことをカミングアウトしたら大騒ぎになったらしい、怒鳴られ、罵られ、「そんな奴らにはまともな奴などいないのだぞ!」と言われ、つい「まともな人はいっぱいいるよ! ○○さん(私のこと)だってまともじゃないか!」と反論してしまったのだという。
まともな人だと言ってもらえるのは嬉しいが・・・なるほど、そういうことか。
実際のところ、私がそうであることを知られても特にどうということはなかった、私の家族だって知っている、同級生だって知っている、進んで「私はゲイだ」と言い歩くことはしないが、知られたからと言って困りはしないのだ、なのでその息子さんにも気にするなとは言ったのだが本人はそういうわけにはいかなかったようだ。
息子さんは店の手伝いを辞め、いつもの飲み屋に来ることもなくなった、市内で働いているということは八百屋の奥さんから聞いてはいたけれど。
八百屋のご主人はというと、その件以来私が買いに行っても話すこともなくなり、そもそも接客を奥さんに代わってしまうので接点がまるで無くなった、小声で奥さんが「ごめんなさいね・・・」というのが逆に気の毒だったくらいである。
個人的に思うのは、父親の場合、息子がゲイだとカミングアウトしてきたら相当ショック受けるものなのだろうと感じている、その点、母親は自分の理想とは違っていても認めて受け入れてしまうのだとも思っている、母親のほうが腰が据わっているのではないだろうか。
うちもそうだった、父親は烈火のごとく憤って大変だったが母親は驚きはしたものの受け入れてくれた、そこには男と女の考え方の違いのようなものがあるのだろう。
今日のその商店街の八百屋さん、教えて貰った通りにキャベツを炒めてみようと思っている私は既に五十路を数えた、そこへ「近々店を閉めます、ありがとうございました」と奥さんがニッコリしながらおじぎをした、蓄えと年金で生活するのだと言う。
ご主人と息子さんはどうなったのだろう、たぶん疎遠のままではなかろうか、この先いったいどうなるのやら、それを知る術ももう無くなるのだ。
この商店街はいよいよ寂しくなってしまう。
ご主人さんと息子さん、今はまだ蟠りがあっていろいろとまだ無理なのかもしれない、だけど、いつかはお互い解り合える日が来ればいいなと思うのだ。