2017年5月31日水曜日

TwitterとGtitter

Gtitter(グチッター)とは機能をごく簡素な幾つかに絞ったTwitterのような短文投稿のサービスであり、愚痴の呟きに重きを置いている(特化している?)ようで、愚痴の垂れ流しが憚れるTwitterとは違って安心してブルーやグレーの心情を吐露できる場のようである。

「たくさん愚痴って、みんなで励まし合いましょう!」と書かれてあり、投稿は「愚痴をつぶやく」からのようである、そのダイレクトな文言が可笑しい。

チラッと覗いてみたが、なるほど、人それぞれ愚痴のひとつでもこぼしたい時はあるものだ。

私がこれを知ったのは今日、Twitterでのことだった、そこで相互フォローで繋がっている某氏とは以前別のSNSでも繋がっていたのだが、Twitterで繋がってみるとそれまでのイメージが吹き飛んでしまうほどの愚痴三昧っぷりで時々はミュートで非表示にしていたことさえあるのだ。

毎日どうしてそんなに嫌なことばかり起きてるのだと不思議に思っていた午後、某氏と共通の別のフォロワーさんとやりとりしたメッセージの中に「そういえば○○さんまた愚痴だらけになってるね、グチッターに行けばいいのに」と書かれていた。

Gtitterを知ったのはその時だ。

いや、Twitterでは愚痴にしろ、外で食ったメシの感想だろうが、飼ってる猫のことだろうが法や規約に違反しないのであれば好きなことを呟けば良いので愚痴三昧でも私は利用のしかたとしては問題ないと思っている、それがあまりに多くて目に留まるのが気に入らなければ私のように一時的にミュートするなどの手段が用意されているので問題はない。

ただし、呟く本人が「私のツイートは愚痴ばかりで・・・」と周りに対して気になるようであれば話は別、呟く内容を気にしながら続けるのはストレスだろう、だったら本当にGtitterにでも行って気が済むまで思う存分呟けばよい、そしてスッキリしたらまたTwitterに戻ってくればよい。

・・・とは言うものの、某氏もTwitterだからこそ愚痴をこぼせるのだろう、たとえGtitterに行ってもたぶん利用しないのではないか。

某氏は特にリプライを期待しているふうでもない、単に愚痴を吐き出してしまいたいのだと思う、見たくなければ前述の通りミュートで対処すればよい、だが、中にはミュート指定もせずにうんざりしている人はいて、「あーあ、また始まった・・・」などと婉曲ながらエアリプで突かれていたのを見たこともある。

まあ、あまりギスギスせず、皆とはある程度の距離を保って、のんびりと楽しめばいいと思う、SNSは上手に利用したいものだ。

それにしてもGtitterの呟きは仕事がらみのものが多い、やはりいろいろとストレスの元になっているのだなと思う、仕事をするということは他所との関わりを持つということ、自分のミスに同僚のミス、我儘を押し付けてばかりの客、頑張っても届かなかった目標の歯痒さなど、働く者の悩みは尽きないのだ。