もう夜とて肌寒いと感じる日はほとんどなく、それどころか湿度が上がるので薄手の長袖ですら煩わしく思う日だって出てきた、昨晩から今朝にかけてもそう、私は屋外にいたがとうとう半袖のまま過ごした、手に持っていた長袖は結局着ないままに。
そんな明け方、私は知人と立ち話をしていた、時刻が時刻だけに通行人はそれほどいない、知人が背を向けている側の少し離れた場所を1人の若い人が通って行った、歳は20代半ばか、チェックのシャツとジーンズでクロックスかそのそっくりさんを履いていた、今風の顎が細い感じというよりは、どちらかといえば田舎住まいの朴訥とした感じが漂う人だった。
知人も背後を通るその人に気付いて振り返って見ていた、私は「可愛い子だ」と言った。
知人は「え、そうなの!?」と驚いたふうで私に訊いた、私の好みのタイプが年頃で言えば同年代か少し上なのを知っているからである、そうなのかと訊かれた私は好みのタイプではないが可愛いと思うと答えた。
そう、たとえ好みのタイプではなくともその若い人は可愛いし、ベイツ型擬態の弱虫(2017年2月13日のブログ)は鍛えた体がかっこいいと思うし、2016年版「自分ちゃん」(2016年12月30日のブログ)も容姿から雰囲気まで相変わらず素敵なのだ、そういったものは好みのタイプうんぬんとは連動しない場合も多いし、良く思う点と悪く思う点は一律には相殺しないものだと思っている。
ただし、それは私についての私なりの考えである。
他所はそうとは限らない、良く思う点を見出したり、単なる話し友達としても親しみを覚えるのは好みのタイプであることが前提となっている人も多い、私とは異なっているがおかしなことだとは思わないし、その人にとってはそれで良いのだと思う。
「じゃ、あんな感じの子が寄ってきたら誘う?」と知人は私に訊いた、いや、それはない、可愛いとは思うが好みのタイプではないので嫌だ。
そう言うと可愛いと思うことと、タイプではないので誘ったりしないという相容れぬ点が謎らしく微妙な表情をしていた、私はそれが可笑しくて笑った。
気がつけば夜も明けつつあり、東の空が次第に白んできたので帰ることにした、自宅まではそうかからないくせに、帰り着いて手を洗えば窓辺すらぼんやりと明るくなっていた。
夜が短くなったなと思う、数えてみれば6月21日の夏至までは2ヶ月を切っているではないか、早いものである。