2017年5月9日火曜日

映画:「呪われし家に咲く一輪の花」


とびきりの秀作というわけではないが決して駄作ではない映画をNetflixで見つけた、カテゴリは海外ホラーとなっているがお面を被った殺人鬼や走り迫るゾンビ、そして血まみれになる出演者などは登場しない。


あらすじ:

ひとりの女性看護師が終末期を迎えた元作家である老女の家へと派遣される、看護師は私生活に疲弊し人生の転機になればと期待してもいた。

何度言っても自分の名を正しく「リリー」ではなく「ポリー」と呼ぶ老女の家には2人きり、だが、看護師は別の誰かの気配を感じるようになる、不可思議な音や拡がる壁のシミ、解せぬ謎と不安が恐怖となって看護師を追い詰めて行くのだった。


映画は派遣された女性看護師の独白から始まる、それが映画全編を通してのテンポを物語るように穏やかで物静かな映画だった。

終末期を迎えた老女の登場はそれほど多くなく、衰弱しどこかに腰掛けていたり、看護師と少しだけ話をしたりという程度なのだが、夜になるとその家に満ちる陰鬱な空気そのままで、もう誰にも明かすことのない何かを胸の内に隠しているような雰囲気なのだ。

看護師は老女の財産を管理する男にポリーが誰なのかを訊き、それが老女自身が昔書いた怪奇小説の中に登場する人物であることを知ったあたりから謎が深まるのだが、この映画ではその謎について詳細に明かされることは終ぞなかった。

だが、私はそれでも良いのだと思う、謎と謎解きが必ずしも一対でなくてはならないとは思っていない、訴求点が今起きている事象であり、描写が現在に限ってで充分ならば細かい過去と背景の説明は必ずしも必要だとは思わないのだ。

人々の間で伝承される昔話にも同じようなケースは少なくない、それでも聞き手は納得する、過去に何が起きて何がどうなって今に至るのかを細かく追える話ばかりではないはず、この映画はそれに似ている。

だが、そういった点に不満を持つ人はそれなりにいる、なのでこの映画の評価は低い。

この映画では70分あたりの禍々しい悲鳴の後に続く展開をよく観ていてほしい、独白で始まったこの映画は同じように独白で終わりを迎えるのだが、終盤の「死に憑かれた家は生者が買うことも売ることもできない、家に潜む亡霊から借りることができるだけ」という台詞が印象的。

「こうして私は自ら朽ちてゆく、あなたが見ている美しいものはこの私」という締めくくりの台詞、その意味の解釈は観る人によって微妙に異なるのではないだろうか。

どこか怪談に通じる映画だと思う、夜や物陰の闇を見つめ続けることの怖さをじわじわと感じさせる映画で、それはまるで襟周りや袖口から沁みてくる雨水のようだった。

物静かなこの作品は私にとっては良作だった。