2018年1月26日金曜日

園田先生

私の小学1年と5〜6年の担任だった園田先生が一昨日亡くなられたそうだ、享年89歳である。

教師を辞められた後は市内南区のご自宅でお過ごしだったが、15年ほど前に出した年賀状の返信が来たのを最後にその翌年の年賀状は宛先不明で戻ってきたのだった、転居先も、ご健在かも分からずそれきりになっていたのだが、元実家町内の同級生のお父上が囲碁クラブで親しかったらしく、そちら側へ流れてきた訃報が私にも届いたのだった。

なんでもその15年前の年賀状の後でご自宅を売り払い近畿に引っ越され息子さん夫婦共々ご家族揃ってお暮らしになっていたというではないか。

距離もある上に一昨日のことなのでお通夜や葬儀に参列できず今日になっての弔電でのお悔やみと御霊前の香典のみという形になってしまったのは残念である。

園田先生と言えば小学1年生の遠足時に博多湾から望む海を見て「どうして海は青いのか」と質問したのをよく覚えている、「どうしてだと思う?」と逆に訊かれて「青い色が溶けているから」と答えたのだが、園田先生は「いろんな色の光が混ざっている太陽の中から青い色だけが戻ってくるからだよ」と正解を教えてくれたのだった。

その回答がよく理解できずに考えていると「粘土にビー玉を投げつけるとめり込んで粘土に捕まってしまうれど、釘なら捕まえられずに突き抜けるよね、赤い光はビー玉で、青い光が釘なんだよ」ともう一歩詳しく教えてくれたのだが、どうして赤い光がビー玉になって青い光が釘になるのだろうと困惑していると「もう少し高学年になったら分かるから」と笑い、とにかく青い色が溶けているのではないと教えてくれた。

ビー玉と釘の謎は園田先生の言った通りに再び私の担任となる小学5年生の時に解けたのだった、とはいえ図解入りで詳しく教えてくれたのは須崎公園にあった福岡文化会館図書館(福岡県立図書館の前身)で見つけた本だったのだが。

答えは波長、ビー玉は水に吸収される波長の長い赤い光で釘は吸収されない波長の短い青い光というわけだ、園田先生はその波長の違いを丸いビー玉と先端が鋭い釘に例えたのだった。

なつかしや、生徒の間では坂本九に似ていると言われていた園田先生、博多の言葉が全く出てこない標準語だけの先生だった。

あれは何、これは何と好奇心から身の回りの諸々について質問攻めにしても邪険にせずに全て聞いてくれた先生でもあった、そんな幼少の日々をありがとうございました。

そして、お疲れ様でした、どうぞ安らかに。