なんと、この映画には脚本が存在しないという、その場その場で考えた演出を重ねて出来上がった映画というのが凄い、視聴はNetflix。
1996年のイギリス映画で監督はマイク・リー。
あらすじ:
町工場で働く女の名はシンシア、娘のロクサンヌと2人暮らしの母である、貧困ではないが生活は楽ではなく倹しいかぎり、心の拠り所にしたい娘は自分のことを疎ましがっている上に兄弟とも疎遠で孤独だ、シンシアは幸せとは言えない。
そんなある日のこと、見知らぬ女性からふいに電話であなたの娘だと告白されるのだった、その電話の主は検眼士として働く若い黒人とのハーフの女性で名をホーテンスという、最近亡くなった育ての親が生前に生みの親の存在を明かしていたことから探そうと行動を起こしシンシアに辿り着いたのだった。
約束の日時に待ち合わせの場所で初顔合わせとなったのだが、シンシアは白人の自分は黒人と結婚したこともないのにハーフの娘がいるはずがなく人違いだと言う、だが、ホーテンスが持参した役所の書類には不備がなく主張に誤りはない。
シンシアは、そこで遠い過去の記憶をふと思い出し、目の前にいるのは自分が産んでよそに預けた娘なのだと悟るのだった。
本当は愛しているし、もっと愛したいし、愛しても欲しいと思っている家族の面々、それなのにぎくしゃくとするばかりでうまくいかないのはなぜだろう。
メランコリックであり、時にヒステリックに愛する人に辛く当たる思いとはいかなるものか、これは映画だけの話ではない、どこの誰にでもある心情なのだと思う。
シンシアは他の家族にはホーテンスの正体を明かさぬままに弟モーリスの新居で開かれるロクサンヌの誕生日会へ職場の仲間だと偽って招待するのだが、ほどなく実は娘なのだと明かしてしまうところから大荒れとなってしまう、このあたりからそれぞれが心の奥底に抑えていた諸々が明らかになっていく。
辛いのはハーフの娘の父親が誰であるかというのが明らかになる件、娘はもちろん、母親も辛かったのだ。
精神的に脆いシンシア役のブレンダ・ブレッシンはこの映画の後の「リトル・ヴォイス」でも母親役を演じていたがガラリと違う役柄だった、なんだか声まで違っているような感じではないか、巧い女優さんだなと思う。
優しく穏やかな弟役のティモシー・スポールも重要な役である、皆を纏める接着剤のようだ、見てくれは腹の出たおじさんなのだが、優しい雰囲気そのままの役柄だった。
「ハリー・ポッター」にも出演していて、そこではネズミ男の役でパッとしないのだが・・・。
最後のシーンは温かで穏やかだ、心がほっと和む、その時シンシアが口にした何気ない一言こそ監督が描きたかったものなのではないだろうか。
この映画が高く評価されているのは納得である、今から20年前の映画なので若い人はたぶん知らないのではないだろうか、優れた作品なので、もし興味が湧けば是非とも。