2017年8月9日水曜日

心血注ぐは前髪のみか

昼前から地下鉄で天神へ、小さな文字が見えにくそうにしている姉用にと考えているメガネタイプの双眼ルーペの実物を見に行ったのだ、姉は老眼鏡も持ってはいるが双眼ルーペと比較して後者に明らかな優位点があれば買う価値はあるのだろうと考えたからである。

結果は・・・、んん、これはどうなのだろう、思った以上にレンズが高品質のようで視野が広く、光学中心が短めなので手元の見易さは確かに優れているような気がする、肝心の拡大率も老眼鏡よりも大きいと感じるが極端な違いはないようにも思える、あとはフィッティングか、こればかりは姉に使わせてみないとわからない、総じて品質には問題はなく有用だとは判断した、また、約8,000円という価格は妥当であると感じた。

姉に欲しければ実物を手にとってまずは試してみろと言ってみることにする。

そのあとは近くのスタバで休憩、窓際に座って蒸し暑い外をぼんやりと眺めていた。

人通りの少ない側のビルの壁際、日陰になっているそこの壁に若い娘が2人もたれて座っていた、鏡を見ながら前髪を整えているのだ、額のあたりが気に食わないらしく指で細かく前髪の垂れ具合を調整していた、離れた場所から見ていても前髪の隙間から覗く額の見え具合が決まらないのだろうというのが分かる、ちょこちょこと指で突いてはまた元に戻しを繰り返していた。

だが、心血注ぐのは前髪だけのようで、壁にもたれて座る姿はきれいなものではなかった、太もものかなり上までしかない短いパンツ姿で脚を開いているのだ、あーあ、親が見たら驚くだろう。

しかも靴が合わないのかまだ慣れていないのか、立ち姿も背筋が伸びていない上に歩き方がガニ股風でぎこちない、当然美しくはない。

そう、その娘たちはそれこそ10分近く前髪を弄った上で立ち上がって歩いて行った、数ミリを迷う前髪よりも、歩いている姿に気を配ったほうが良いのにとは思う、まあ、どんな格好にしろ法や条例に違反したものでなければ他人がとやかく言うものではないのだけれど。

ただし、とやかく思うのは自由である。

そういえば今は数は減ったが以前は多くいた前髪の両サイドだけを伸ばしてだらりと下げる髪型、あれはなんというスタイルなのだろう、中学生も高校生も、社会人の一部も好んで真似していたその髪型、オリジナルは誰なのだろうか、通りを向かって来る女子高生と思しき数人のグループが皆一様に両サイドをだらりと下げたその髪型なのをみて可笑しくなったことがある、

流行とは興味深いものである。

さて、帰りはやはり地下鉄にした、朝のように突如として天気が荒れては大変だ、のんびり散歩はまた天気の安定した日にお預けで、早々に帰宅したのだった。



(2017年8月12日追記)

双眼ルーペを試した姉、使いにくいので要らないそうだ、んん、やはり使用感はそれぞれ違うものだなと思う。