2017年8月4日金曜日

映画:「砂の器」


テレビでは今まで何度新しく作り直されて登場したものか、物語については作品ごとに原作とは異なるアレンジが施されており、登場人物もオリジナルキャラクターが加わっていたりでテイストも微妙に違っていたりする、時代背景が異なるのだから物語の設定も変わるのは仕方がない、登場人物の容姿や口調もまた然り。

だが、私は野村芳太郎監督の映画版を超えるものは無いと思っている、それが松本清張原作の「砂の器」である。

Netflixに新作登録されていたので先ほど観終えたところである。


あらすじ:

2人の刑事が秋田県のとある駅に到着した、刑事らは国鉄蒲田操車場で男の他殺体が発見された事件の手がかりを探しているのだ、その駅を訪れたのは事件直前に被害者の男が連れの男とバーで話をしている時の「カメダ」という言葉をホステスが覚えていたからである、刑事らは人名か地名との関連を探していたのだった。

そんなうる覚えの細い手掛かりだけの捜査は難航したがほどなく被害者とは接点のなさそうな1人の男が捜査線上に浮かんだ、調べを進めて行くうちにその男の出生と今に至るまでの過酷な人生をも明らかになるのだった。


全てが昭和のままであり、特に省くも誇張するわけでもない野村監督による映像は私からすれば普遍的なものなれど今となっては懐かしく実に美しいものである、古めかしくて野暮ったくとも街の匂いや陽炎揺らめくうだるような夏の暑さ、スーツではなく背広に染みたタバコの匂いさえ映像から伝わってきそうなのだ、こういった時代の風味は今ではまず撮れないものである。

役どころにより台詞回しがゴシック体と明朝体できれいに区別されていそうな演技もとても良い。

この映画は結末近くでこれでもかと言わんばかりの演出で観ている側の心をえぐる、刑事らによる捜査本部での報告と、辛く暗い幼少期からの日々と父親との縁故に馳せる思いを凝縮させた曲を、演奏し、回想し、それらを重ねて解き明かされる事件の全容は辛くて悲しい、ふと、人の世と縁を撚り合わせた運命とは何なのかを頭の中で探してしまうのだ。

ほんの1シーンだけにしろ豪華な俳優陣も見逃せない、渥美清、笠智衆、野村昭子、殿山泰司・・・、若い人には昔の古いドラマ中で見掛けたこともある俳優さんたちだろう、刑事役の丹波哲郎や森田健作が若いように、脇役の皆もまた若い。

この映画の要は加藤嘉さんだ、野村監督は加藤嘉さん以外にその役を演じる人はいないと決めていたというではないか、納得である、この俳優さんでなかったらこの映画はこれほどの出来栄えにはならなかったのではないだろうか。

映画版はまだ未見だというかた、Netflixにしろ、レンタルにしろ、ご興味があれば是非とも。