2017年8月27日日曜日

ホラー映画一徹

まさにホラー映画にかけた人生だったとも言えるアメリカの映画監督トビー・フーパー氏が亡くなった、享年74とのこと。

その甚だしい理不尽さと無秩序さに戦慄した「悪魔にいけにえ」を映画館で観たのは小学生の頃だった、チケットを買う時に「誰もいないの? 1人で観るの?」とチケット売りのおばさんから念を押されて「はい」と答えた日が懐かしい。

それにしてもよくこの映画を年齢制限を設定せずに小学生鑑賞可にしたものだと思う、今の時代なら中学生からだろう。

画面いっぱいにアップで映し出された恐怖におののく女性の血走った目と絶叫に身が縮む思いをしたが、狂人から走って逃走する間でさえ長いこと叫び続ける女性に「よく息も切れずにそれだけ叫び続けることができるものだ」と妙な感心をしたものだ。

だが、前年の「エクソシスト」があまりにも強烈だったので楽しめはしたが印象としてはいまひとつだった。

次にこの監督の名を意識したのは高校3年生の時だったか「ポルターガイスト」という映画が公開された時である、異界の悪鬼がまずテレビを介して現世との繋がりを形成してしまうというシチュエーションが面白くて記憶に残っている映画だ、安モーテルで安眠を得る家族が室外にテレビを締め出してしまうラストもとても印象的。

この監督の描くホラーは日本の怪談とは異なるテイストのようで、いや、どこか通じるものがあると思っている、近寄ってはいけないことを知らず、ついそこに居ただけで祟られてしまう祟り神の理不尽さを思い起こさせるのだ、そこに祟る理由など必要はない、居たから祟られたのだという理論である。

この映画監督による作品はそう多くない、私が観ていないか、内容すら知らぬ映画もある、それでいてホラーに理解のある映画監督が亡くなったことへの喪失感は大きい。

誰しもいつかは命が終わる、著名な人とてその区別はない、もちろん映画監督もそう、スタンリー・キューブリックが亡くなった時もそうだったがそういった訃報が届く度に寂しさに暮れるのだ。

命は尽きてしまったし、残した作品の評価はそれぞれだろうけれど、その作品自体はこの先もずっと残り続ける、いつしか予備知識なしで観た映画がとても面白く、誰の作品だろうと調べたそこにロビー・フーパーの名があるとするなら、氏もきっと喜んでくれるだろうと思う。