2017年7月5日水曜日

現場とテレビの相違

東京にいる私の友人2人とそのお連れさんが3人で秋葉原行ったのが数日前の7月1日のこと、やたらと人が多いので何かと思えば安倍総理がやって来るのだという、応援演説だ。

3人はしばらく待機し安倍総理の登場を目にしたが、ほどなくどこからか野次が上がり始めたという、聴衆全体からではない、一部の集団からで相当うるさかったそうだ。

この出来事はテレビでも放送されたので私も知っている、随分と違うのは現場にいた3人のうち友人2人から聞いた印象だ、テレビでは聴衆全体がそうであるかのような印象、それに対し現場にいた友人らはあくまで別の場所にいた「ひとつの集団の反応だった」という印象。

観衆全体のうちランダムな位置で野次を飛ばす人がいるというのならまだしも、明らかに申し合わせて待っていましたと言わんばかりの一角にいる集団で、しかもテレビではその場にいた観衆がそういう感じだったと思わせるネガティブキャンペーンに仕上がっていた点を考えると、友人のうち1人は次のように分析した。

1・誰かが集団で野次を飛ばすパフォーマンスを計画
2・聴衆に紛れた集団がそれを実行
3・申し合わせ通りにテレビ局がその現場をカメラに収める
4・その映像からそこだけを切り抜き一部の集団だったとい点はボカして報道
5・視聴者に「ああ、安倍総理は皆に嫌われているのだな」という印象操作

つまりは反安倍勢力とテレビ局の結託だという結論、なるほど、充分ありえる、そもそも私も野次の件を民衆の総意などとは思っていないのだ。

では、その集団の正体とは何だろう、Twitterでの情報をまとめて考えてみると朧ながら見えてきた、ついでに背後で手ぐすねを引く黒幕も。

昔ほどではないにしろテレビの影響力はまだ高い、特にネットをあまり利用しない人たちは信じてしまいがちなのだ、偏向報道に印象操作、世論誘導で相手の悪口を並び立て評価を貶め自分たちに都合の良い世の中を作りあげようとする輩がいるのは確かである。

それでも昔ほどには騙されない(2017年3月28日のブログ)。

誰かを口汚く罵る別の誰かは、なぜ罵るのかその理由を考えてみると罵る対象の行いや考え、ひいては存在そのものが罵る側にとって不都合だからであるというシンプルな点に行き着く。

それにしても今回の東京都議選はいろいろあった、公明党と共産党のバトルもそうだが、選挙が終わるやいなや都民ファーストの代表を辞任してしまった小池百合子知事には驚いた、投票した人は複雑な心境だと思う。

東京も、日本も、この先どうなることやら。