作品名は明かさぬが無名の監督によるホラー映画を観終えた、物語は仲間数人で出掛けた先の別荘で悪霊に祟られて次々と起きる怪異な現象の中で仲間を徐々に失うというもので今となっては珍しくもないありきたりなものだった。
映画が始まってからすぐに「ああ、この展開はあの映画のままだな」と思うこと数えきれぬほど、13日の金曜日や死霊のはらわた、ヘルハウスにキャリー、リングまで、いろんな映画から印象深いシーンを集めたようなものだった、当然駄作に仕上がっていてちっとも面白くない。
この監督はなぜこの脚本をこう撮ったのだろうと考えてみる、何かしらの力量という点については私もよく分からないが、はっきり言えるのは怖いと思った事象に遭遇したことがないか、考えたことがないか、とにかく怖いとはどういうことなのかが自分なりによく掴めてないのではないかということ。
昔の絵で虎の目が猫のように縦に細長かったり、子供が描いた鶏の絵に足が4本あったりするのと通じるものがある、見たことがないものは「たぶんこうだろう」という想像でしか描けなかった結果なのだ。
ホラー映画に関しては異界の何かと遭遇したことはないにせよ、やはり怖さの対象が頭の中で明確に出来上がっていないと描けないのだ、この場合は「知り得ぬもの」は「理解していないもの」であるとも言える。
それとは逆に自分が思い描く恐怖が原作の中にあり、その様を映像として成り立たせることができるのならば幽霊や化け物とは違って肉面を被ってチェーンソーを振り回す狂人で怖さを伝えきれる監督だっているのだ。
そればかりか日頃身近にいる鳥(ヒッチコック監督の「鳥」)や愛おしいはずの子供たち(ナルシソ・イバニェス・セラドール監督の「ザ・チャイルド」)でゾッとさせられる映画が出来上がることもある。
知り得ぬものは正しく描けない、そして、分かっていないものも正しく描けない、作品紹介のサムネイルだけが怖かった映画を観終えて、ふと、そんな事を思ってみた夜だった。