2017年7月11日火曜日

人は誰しも老いていく

仕事場で大量のスイカを仕入れた、糸島産の大玉で1玉が600円という破格の安さだったのだ、安い理由は表面にメロンのように成長の過程で裂け目ができた痕があること、もちろん中身に問題は無い、全部で14玉を仕入れ、仕事で使った残りを私と姉、姪と甥、パートさんたち用として丸々1玉をお中元代わりで分けることにした。

仕事用としてはお客に外皮を取り除き、2口大に切ったものを小皿に盛って希望者に出したのだが、スイカの玉が大きくて1玉からかなりの人数分がとれたのだった、結局、仕事用で使ったのは4玉と少しで、お中元代わりとして持ち帰った後には2玉残ることとなった。

残ったうちの1玉は元実家町内の友人宅へ持って行った、私と同年代の人がいて子供の頃から仲が良かったのだ、今は御父上との2人暮らしである。

事前に連絡した上で相手が都合が良いと言う夕方にお邪魔すると御父上が縁側にいた、挨拶をすると誰ですかと訊かれた、最後に会ったのは昨年の盆前か、だが、子供の頃からしょっちゅう顔を合わせていたので私が分からぬことに正直驚いた。

友人によると昨年末から認知症の症状が急に進んでいるのだという、私が名乗ると少し考えて「ああ」と思い出してくれたようだったが、目線をすぐに庭に移してぼんやりとなった。

「ほら、スイカもらったよ」と小さく切ったそれを器に盛ってやってきた友人が食べやすいように更に小皿にとって手渡した、御父上はフォークで突き刺しゆっくりと食べていた。

友人は私を台所に呼んで最近のことについて少し話をした、15年近く昔に離婚した元妻が病気で入院しているのを娘さんから聞いたことや、その娘さんも今年から働き始めた大阪で頑張っているという話などだ、友人本人はというと仕事から戻ると父親の世話があるものの、昼間はデイサービスで預かってもらっているし、自宅へ戻ってきた夕方以降も近所の人が御父上の様子を見に来てくれたり、相手のお宅へ誘ってくれたりで恵まれていると言っていた。

だが、時に疲れてイライラしている時など叱ってしまうことがあるのだという、食事中に「ほら!よそ見して食べるとこぼすだろう!」や、何度も同じ話を繰り返すので「もう何回も聞いたよ!」などと。

友人は私にそういったことは指摘したり叱ったりしてはいけないのだろうねと訊いた、どうなのだろう、そういった場面では叱ってはいけないとは聞くのでよくないのだろうけれど、誰しもつい言ってしまうことはあると思う、私の母も亡くなる直前は認知症の症状が出ていたけれどイライラして困るといったことはなかった(2013年2月2日のブログ)、それは私が昼間働いていて顔を合わせるのが夕方以降だけだったからだと思う、そのぶん、私の姉はずっと一緒だったので精神的にもきつい思いをしていたはずだ。

私が友人宅を出たのは台所で15分ほど話しをした後だった、帰り際に縁側にいる御父上に挨拶をするとポカンと私の顔を見ているので再び名乗ってお邪魔しましたと頭を下げると「はい」と言ってくれた。

友人も大変だなと思う、これからのことを考えると気が重いという、今は昼間だけデイサービスで面倒見てもらえるものの、認知症がもっと進めば施設への入所も考えなくてはならないだろうし、でも、できれば自宅で過ごさせてあげたいしなど、悩みは尽きないという。

とりあえずは叱らないように気をつけなくてはと本人は言う、んん、それがまたストレスできついだろうなと思う。