2017年7月2日日曜日

夜の海は不気味なり

スマホへ友人から午前中に届いていたメッセージは皆と一緒に海へ行かぬかというお誘いだった、だが、それに気付いたのは仕事が終わってからなので既に午後で、今日は仕事だったのだと数時間遅れで返信した。

そう、今日は海で泳ぎたくもなるほど暑く、昨日よりも更に気温は上がり福岡市の最高気温は34度を超えた。

私が返信して数分の後、友人から返信がありやっと海に着いたばかりだという、予定よりかなり遅れて出発し、今から弁当で泳ぐ前の昼メシにすると言う、なので食後の休憩も足せば海で泳いだりはさらに遅れるので、もしよかったら夕方前に来ないかと再度誘われたが私は明日も仕事なので部屋でのんびりしておくからと断った。

友人らは特に何時までと時間を決めているわけではないらしく、夕方過ぎの宵の内までは浜辺でのんびりしているかもしれないと言うではないか、んん、明日の仕事は大丈夫なのだろうか。

宵の内か・・・、私は日が暮れての海、とりわけ薄暮さえ沈んだ暗い夜の海では泳がない、数年前のmixi日記にも少し書いたことがあるのだが、それは小学生当時の記憶が頭に焼き付いているからである。

小学生の頃の夏休み、2人の姉たちと一緒に福岡市からやや離れた場所の親戚の家へ遊びに行ったことがあるのだが、夕方に花火と燃えカス入れのバケツを持ってそこのお宅からほど近い浜辺に行こうとした際に数軒先のお宅の人に呼び止められて注意された。

暗い海では決して泳がないようにね、波に足を浸けてもだめよ」。

確かに、昼間の海でも溺れることがあるのなら、暗い夜だと溺れている人を助けるどころかどこにいるのか探すのにも難儀するので危険である、しかも私たちが行こうとしている浜辺の傍に民家は少ないのでその言いつけは充分理解できた、私たちを呼び止めた中年のおばさんは数少ない民家である○○さんのお宅の近くの砂浜で花火を楽しみなさいと言うのだ、だが、その人は更に付け加えたのだった。

波打ち際から誰かが名前を呼んだような気がしても見に行ったりしてはだめ、海に近付かないですぐに帰ってきてね」。

それが意味するものは何なのだ、私はそんな場面を想像して怖さに戦慄した、たぶん私だけではなく姉たちもそうだったのではないだろうか。

花火は楽しかったし、靴を脱いで素足で踏む砂の感触は心地よかったが、時折強めに砕ける波が砂を洗う波打ち際は近付くどころか離れた場所から覗くことさえせずに帰ってきたのだった。

姉たちはその時受けた注意をどう理解していたのだろう、私はその時以来夜の海が不気味で仕方ないのだ、なので日が暮れてからは泳がない。

今日海に誘ってくれた友人たちは午後6時半くらいまでいたという、帰りは中華で腹を満たして午後8時過ぎには帰宅したらしい、よかった、日が暮れても泳いでいるのではと気になっていたのだ。

それにしても本当に明日の仕事には影響しないのだろうか、朝からぐったり疲れていたりはしないのか、そちらも心配ではある。