2015年10月22日木曜日

ありがちな展開

ホラー好きの友人とゾンビの話をした、かなり前に「ウォーキング・デッド」というアメリカのホラードラマのシーズン2の何話目かの展開で泣きそうになった(怖くてではない)という話がきっかけだった、「最近のゾンビは脚が早い」という共通の意見が可笑しかった。

こういった化け物や悪者に追われる主人公のシーンにありがちな展開で「車のエンジンがかからない」という設定がある、他には車のキーが見つからなかったり、落としてしまった拾うのに手間取ってしまう等々、友人はそういう展開は何故あるのだろうと私に訊いた、ううむ、どうだろう、わからない、演出上のイライラとドキドキを盛り上げるのに効果的だからではなかろうか。

それか単に車検が通らないようなボロ車だったとか(笑)、いや、他所の国に車検制度があるのかどうかは不明なのだけれど。

そんな冗談はさておいて、いろいろと思い出してみると若者のグループが何者かに次々と殺されてしまうといった設定の物語では、最初の被害者となるのは皆から外れた場所でエッチをしようとする2人という場合が多い、観ていて「あー、最初に殺られるのはこいつらだ」と分かるのだ。

そして案の定そうなってしまう。

他にはラスト付近で死闘の末に化け物を倒したものの、ほっと安堵の直後に復活したそれに不意打ちを食らってしまうという展開、結局はその不意打ちをも凌いで真の勝利を得るのだけれど。

この展開の始りはどの映画なのだろう、狂信的な母親に抑圧された日々を送る超能力を持ったいじめられっ子の「キャリー」なのか、本船に取り残して爆破で殺したはずのエイリアンが自分と同じ脱出用ポッドに紛れ込んでいたという「エイリアン」なのか、それらも含めた様々なエッセンスを混ぜあわせた似て非なるオリジナルなのか、はっきりしない。

ありがちな展開は箸休めのように使うと効果的で印象も良いのだが、てんこ盛りだと退屈さに辟易する、制作側のイマジネーションの枯渇ぶりが透けて見えもする。

そういった意味で後々使われる展開を最初に確立させた映画は偉大だと思う、ここ最近の映画にはそういった後々に影響を与えそうなものは登場しているのだろうか、私が知らないだけかもしれないが無いように思える。

リメイクや別メディアの作品の映画転用も良いけれど、オリジナルの新作で満足度の高い映画やドラマも観てみたいものである。