そのプリントされた紙の持ち主は甥っ子だ、文章は歌詞だった、去年か今年かの曲だそうだ、最近は仲間とカラオケに行くとその曲で歌うらしい、そのための歌詞カードだ、どこでプリントしたのかは知らない。
最近の曲は私の守備範囲ではないのでさっぱりわからない、曲の歌詞だと言われればなるほど同じフレーズが度々登場するあたりそうだと納得できる。
それにしてもその内容は「私とあなた、好きだった、悲しい、でも頑張る」と要約できるもので失恋した心情を書いたものだと思う。
だが、その歌詞の幼稚さは否めない、平べったい文章が細切れに書かれているだけで何かを感じさせたり、考えさせたりという深みがないのだ、こういうことを書くとすっかり年寄り扱いされるだろうがつまらないなと思う。
だが今はそれでよい時代なのだろう。
ひとつどうだろう、直接的に書かずとも時刻や部屋の明るさと湿度さえ伝わってきそうな歌詞を書いてみないかと曲と対峙するペンを持つ人に提案してみたい、テンポや曲調はどうとでも、ただ、肌で感じるような歌詞に再び出会ってみたいと思うのだ。
私は幼い頃にラジオからの曲を耳で覚えて口ずさんでいた時に父に叱られたことがある、子供が歌うような歌ではないというのだ、まったりと落ち着いた歌詞は午後10台の情景を書き描いたものだと感じた、暑い時期ではなかったろう、相手への愛おしさと場の気だるさが交錯する大人の男女のひとときを歌詞で切り取ったものだと思ったのだ、子供には立ち入れぬ淫靡な雰囲気漂うその曲を口ずさんでいた私を父は叱ったのだ。
要するに「お前には早過ぎる」と。
私がその曲を意識したのは既に新曲ではなく数年前の曲としてラジオから流れていたのだった。
それが「沢たまき」のこれだ、作詞は岩谷時子、さすがだと思う。
いつだったかテレビの番組で司会者が「『ベッドで煙草を吸わないで』とはどういうことか」という質問を若いスタジオのゲストに訊くと「寝煙草で火事になるから」と答えていたのを覚えている、私は可笑しくて笑ったが、まあいい、解釈は人それぞれで良いのだ。
解釈といえば人をより迷わせたのが「伊東ゆかり」のこちら、「なぜ他人の小指なんか噛むんですか?」と疑問を持つ人は多かった、「頭が変なのだと思う」という10代の女性の意見にまた笑ったが、それもずっと昔のことなので今ではとうに理解してくれているだろうと思う。
謎かけなどではない普通に大人のやりとりとして楽しめる歌詞はもう出てこないものか、フッ素加工された金属板の上を水が玉みたく転げるような曲も楽しいが、木目に滲みながら無垢材を水が伝うような曲もいいものである。
・・・なかなか売れないとは思うけれど。