午前中の休憩時間にパートさんらと話をしていると「牛乳瓶の底」という表現についての話が出た、パートさんが近所の女子高生との会話の中で「私の兄は牛乳瓶の底のそうなメガネを掛けていた」というくだりで「牛乳瓶の底ってどんなのですか?」と訊かれたのだという。
「ほら、牛乳瓶の底って分厚いでしょう? あれくらい度の強いレンズのメガネを掛けていたの」と説明したのだが、なんとその女子高生は「牛乳瓶」というものを見たことがないと言ったとか。
今でも駅のキオスクなどではその場で飲むための瓶入り牛乳を売っているとは思うが女子高生は買わないだろうし。
いや、たぶん見たことはあっても「ああ、牛乳が入っているガラス瓶だ」などと意識していなければそれが牛乳瓶だと記憶しないので頭に残っていないのかもしれない、いずれにせよ知らないことには違いはないが。
パートさんは驚くとともに面白くもなってついでに「中学の頃に給食で牛乳は出たでしょ? どんなだった?」と訊けば紙パックのものだったらしい、スーパーやコンビニで買える四角いタイプのものだ、パートさんが更に「三角の紙パックの牛乳って出なかったの?」と訊くとそんな形の牛乳ってあるのですかと女子高生は驚いて笑っていたという。
ほう! 私は牛乳瓶に入ってくる牛乳も、三角の紙パックでの牛乳も、どちらも知っているが最近では四角い紙パックだけなのだろうか。
なるほど、メガネのレンズの厚さで「牛乳瓶の底」という表現が伝わらないわけだ、そもそも今の技術だと度の強いレンズでもかなり薄くて目元に渦が巻くような分厚いものなどさっぱり見かけない。
パートさんらとの休憩中の話は瓶入りの牛乳をどうやって教室に運んでいたかという話題に移った、あるパートさんは担任の教師が運んでくれたというし、別のパートさんは男子生徒2人がケースの片方ずつを抱えて運んでいたという、私の学校では後者だ、木製のケースに並んだ瓶入りの牛乳を片方ずつ抱えて教室に運んだのだった。
たまにどちらかが手を滑らしてケースが落下し瓶が破損するという事故も起きてはいた、まあ、そういった場合に備えて予備の牛乳は準備されていたようではあるが。
このブログを見ている人も給食での瓶入りの牛乳を知っている人と知らぬ人が半々程度できれいに分かれそうな気がする、そう思うのはメッセージボックスを介してやりとりをする人たちの年齢層が中年期に分布しているようなので「知っている」という人も多いだろうという点からである。
その「知っている」という側の人たちは「牛乳瓶の底」という表現がたぶん確実に伝わる人だと思う、高屈折度の薄型レンズや使い捨てコンタクトが現実のものとなった今、人々の目元はシャープですっきりしている。
昭和のコントに出てくるようなメガネを掛けている人はいないか極端に少ないのだろう、そう思いつついろいろと昔を思い出して懐かしさも感じている。