久々に地球からのボイジャー1号の距離を見てみると210億kmを超えていた、前回このブログで書いたのは東日本大震災からちょうど2ヶ月後の6年半前になる(2011年5月11日のブログ)。
もうそんなに経つのかと思うと共に、実感の湧かぬこの210億kmという距離を電波が届くまでに要する時間で計算してみると19時間半近くだと知りそこであらためて驚いてしまう。
相変わらず秒速約17kmで漆黒の闇を飛び続け、ボイジャー1号にとっての次の大イベントはグリーゼ445近傍の通過か、とはいえ1.7光年ほどの距離を空けてのもので、しかも38,455年先のことだ、バッテリーもとうに尽きていて通信手段もないので、ボイジャー1号自身が独占するイベントとなる。
まだそこまで先のことでなく、かろうじて通信が可能な距離にいる間に予想外のことが起きるという想像をしてみる、通信内容に突如として不可思議な内容が混じっていて、それが意味のあるものだったりしたらどうだろう、もうこれ以上は通信できないよという位置から最後のメッセージで「さようなら、行ってきます」などと送られてきたら驚くだろうし泣かせもする。
いつの頃からか高度な知能と文化を持つ地球外生命体にモニターされ続けていたという下地の上での想像だ、完全にSF映画のようではあるが。
そんな孤独な旅を続けるボイジャー1号が40年前の技術で作られて任務を全うし今なお飛び続けていることにも驚く、アメリカの技術力に圧倒されるのだ、これぞアメリカでありNASAなのだ。
以前にも書いたが私は人は死ぬと火葬されて水蒸気と煙と灰になるだけだと思っている、だが、よく言われているように霊としてどこかに移り住むのであればその前にボイジャー1号を追ってみようと思う、霊ならば一瞬でテレポートできそうではないか、そしてしばらく宇宙の闇夜を付き添ってみたいのだ、本当に予想された通りの空間なのかや、そこから見える星々も眺めてみたい、いや、その前にボイジャー1号の本体に宇宙に浮かぶ塵にでもぶつかってできた傷がないか確かめてみたい。
まあ、傷があっても直せはしないのだが。
そしてその結果を神経質で敏感そうなNASAの研究者を見つけてテレパシーで伝えるのだ、ぼんやりした人なら気付いてくれないかもしれないが、敏感な人なら「今何か聞こえた!」と騒いでくれそうではないか。
うん、それがいい、そうしよう、これで私には命を失った後の予定ができた。
まだまだその時期ではないけれど。