2017年11月13日月曜日

ベンチタイム

仕事が終わってスマホを覗くとまたもや寄っていかないかとお誘いメッセージが入っていた、先日と同じ友人からで、天神にいるのでスタバにでも寄り道して行かぬかというものだ、その友人はこういうお誘いを「寄り道カフェ」と呼んでいる(2017年11月5日のブログ)。

今日は・・・いや、今日も特に用がないので喜んで応じた、約束の時刻より少しだけ早く到着すると友人は既に来ていた、しかも前回のお返しなのか、ラテを2人分買っていてくれた。

ふと、以前だったら付き合っているはずの恋人とよく街に出てきていたのに、最近はいつも1人のようである、別れてしまったのかと思いつつ恋人は元気にしているのかと訊いてみると元気だが会ってないと答えた。

ケンカしたわけでなく、他に誰か好きな人ができたわけでもない、ただ、長く一緒にいるとたまには離れている時間を設けたほうが結果的には長く続くのだという持論のようだ、友人はそれをベンチタイムと言った。

ベンチタイムか、パンの記事を捏ねた後に寝かせる休息時間のことか、少々キザではあるが上手いことを言うものだ、私の頭からは出てこない言葉と使いみちである。

確かに、いつもべったりとくっついているよりは、緩急付けた距離感のほうが変化があって良いのかもしれないという考え方は理解できる、たまには離れて、そして接近して、冷めない距離を保って続けていくという仲、失敗すると離れたままになりそうで、簡単なようでなかなか難しいことでもあるけれど。

たとえ半年や1年、いや、それ以上の空白期間があったとしても、私も心のどこかが微かにでも繋がったままの縁が残っていれば仲は復活するのだと思っている(2017年9月20日のブログ)、友人はそれを実践しているのだろう。

仮に、ベンチタイム中に相手が誰かと遊びでもしたらどうだと意地悪な質問をしてみると素直に腹が立つと笑いながら答えていた、強がりや格好つけて「別にどうということはない」などとは言わない、友人は正直な人である。

逆にお前はどうだと訊いてきた、他所で遊ばれたらどうだという質問だ、まあ、私には現在そういう恋人はいないので何を心配することもないのだが、仮に恋人がいたとするならばやはりそれなりに腹が立つだろう。

それにしても「ベンチタイム」か、本当にキザだなと思う、だが、サラリと言ってのける友人に嫌味は感じない、むしろ格好良さを感じる、友人は言葉を選んだのだが、言葉も友人を選んだのだ、良い意味でよく似合っていると思う。