仕事が終わってスマホを覗くと寄っていかないかとお誘いメッセージが友人から届いていた、昼から天神に出掛けているので私の仕事が終わる時間に合わせてスタバで話でもしないかという内容だった。
私のほうは特に他に用があるわけでもなく空き時間はたっぷりあるので喜んで応じた、返信メッセージを送り、少し余裕を見て30分後に某スタバでの待ち合わせだった。
それに遅れることなく着いてみると友人はまだ来てはいない、いつもホットラテのグランデしか注文しない人なので私もそれと同じものを先に頼んでおいた。
数分遅れてやって来た友人にラテを手渡したが、店内は混んでいて左右の客と大変近い、ゆっくり話をしたいからと屋外のベンチへと移動した、そこは人の多い通りから少し奥まった場所にあり、真面目な話からエロ話まで周りを気にすることなく話せる場所なのだ。
10分ほど経った頃だろうか、そこから見える通りをアルミの空き缶と思しきものがぎっしり詰まったビニール袋を積んだ自転車が中洲側へと去って行った、黒っぽいキャップを被り、ナイロンのレインウェアのような服装の男性だった。
私はその人を見てR氏を思い出した、R氏は空き缶集めをしていて、同じような痩せ型の50代の男性だ、どういういきさつがあるのかは知らぬが他県から福岡市へとやって来て、定職には就かず空き缶集めのその日暮しだった、そして、私の友人のS氏と付き合っていたのだ、R氏はゲイである。
今日の午後を一緒にラテで過ごした友人はS氏とも面識があるのでやはりR氏のことは知っている、なので私が「あ、ほら、R氏を思い出すね」と自転車の男性のことを言うと「ああ、ほんとだ」と言った。
そこで、「最近まったく見ないけどR氏は今何をしているんだろうね」と言うと「R氏は亡くなったよ」という予想外の言葉、R氏が亡くなったことを知っているだろうと思っていた友人も意外そうな顔で「知らなかった?」と私に訊いた。
いや、知るも知らぬもS氏がR氏と別れてからというものR氏の話は誰からも聞いていないので知りようがないのだ。
今日の友人はS氏と別れたあとのR氏が付き合っていたという別の男性と面識があり、吐血をし入院したものの手遅れの病でR氏が亡くなったことを聞いていたのだという、それがなんと昨年の2月というではないか、私は1年半以上知らぬままだった。
私は過去にも「そういえば最近見掛けないな」と思う人たちが実は亡くなっていたというのを何度も経験している、それからというもの、不謹慎なようだがしばらく見掛けない人はもしかしたら亡くなっているのかもしれないと思うことにしている、これは生きていてどこかで働きながら暮らしているのだろうと思っている人が実は亡くなっていたというショックよりも、もしかしたら亡くなってしまったのかもしれないと思っている人が実はどこかで頑張っていたという安堵のほうを選んだゆえのことである。
だが、今日聞いたR氏については親しい間柄でもなかったので今まで特に考えたことがなかったのだ、なので亡くなっていたという知らせは不意打ちをくらったようでやはり気が沈んでしまった。
私に関しては今までにも何度か書いているようにこのブログが3日以上途絶えた時以外は生存していることだけは判別がつく、逆に私の友人やこのブログのリピーターさんたちはどうだろう、万が一のことが起きてもその情報が伝わって来なければ「ああ、最近どうしているのだろう」と耽る物思いの中に登場するばかりだろうなと思う。
そこで「もしかしたら亡くなってしまったのかもしれない」と思うのだ、もちろんそうでなければいいなと願いつつ、でも万が一の可能性を排除することなく。
このブログを見ている人たちの中にも近況を掴めぬ親しい人というのがいるのではないだろうか、その人のことをふと思い出したのならば遅れて届いた虫の知らせかもしれない、今はどこで何をしているのかと気になったのなら人づてに聞いてみるのも良いかもしれない。