2017年9月28日木曜日

尽くせば愛してもらえるという錯誤

以前から時々見ていた某ブログ、数日前の更新で片思いの相手を諦めましたという話が書いてあった、この数ヶ月というもの休日を相手に合わせるためにずらして映画に誘ったり、ランチや飲みに誘ったり、日帰り出張のお土産を何度も買ってきたりで頑張っているのに相手は自分のほうを向いてはくれないという嘆きだった。

ブログ主にとって相手は理想そのものの同年代で、相手からすればブログ主は少し年齢は高めになるが守備範囲に違いないと断言している、なのでいろいろと頑張ったということなのだろう、その上で相手を「酷い男」や「人の気持ちがわからない男」と断じ、食事に使った金額を明かして「利用された」とも書いてあった。

まあ、敢えて毒づくことで果たせぬ気持ちをすっきりさせているガス抜きかもしれぬが、コメントにはそのブログの常連さんと思しき人たちの同情するコメントが並んでいた、その点は少し気持ち悪かったが。

問題なのは相手の名前はイニシャルだが勤務先の会社名は所在の町名などのせいもあって少し考えれば誰にでもすぐに見当がつくような書き方なので危険だという点、よく知られている大企業なのだ、万が一のことがあれば相手に与える影響は大きいだろう、だからブログで他の人のことを書く場合はどこの誰なのかが特定できぬように書かないといけない。

そこで、勤務先については完全に隠すべきだという内容に、好きな相手が自分を愛してくれないのはよくあることで仕方のないことだと足してコメントをしたところすぐさま「でもこれだけ親切に尽くしているんですよ? それなのに知り合い程度にしか仲良くなれないのはおかしい」と返信がついていた。

そこで「気持ちをすっきりさせるためのガス抜き」なのではないかという線は消えて、単なる錯誤からなる恨み節の吐露であることを悟った。

ブログ主に誰かを選ぶ好みがあるのなら相手にも同じように誰かを選ぶ好みがあるはず、それに合致していなければ愛されないのは自然なことだ、そもそもブログ主の場合は尽くしているのは一方的なもので相手が求めたものではない、その求めたわけでもない諸々の親切に感謝することはあってもブログ主が期待するような見返りはあり得ないことではないのか。

そういう内容のコメントを更に追加し、それよりも早く相手の勤務先が分からぬようにと書き足したところ先のコメントもろとも削除されてしまった、ブログの内容は変更されず相手の勤務先は朧ながら見当がつく状態のまま。

・・・やれやれ。

惚れた相手に尽くせば相手からも愛してもらえるというのは第三者の目からすれば理想だろうし、片思いの側にすれば願望だろう、もちろんそれで成就すれば幸せだ、言うことはない。

だが、片思いが両思いにならないのは不思議でも珍しいことでもない、尽くせば愛してもらえるはずだと信じるのは根拠のない錯誤だ、度が過ぎれば相手からはストーカーのように思われるかもしれない。

ケースは違うが似たような一方的な考えが生む事例としていきなりモロ出しや褌画像を送りつけてくる人の存在が挙げられる、ゲイで、相手が自分の好みならそういう画像は歓迎されるか興味を持ってもらえるはずだという錯誤からなる行為だ、これはなぜだか中年以降の高齢者が多い。

そして、受け取ったこちらとしては気持ち悪いばかりで全く嬉しくない、そういったものはお互いが好みで惹かれ合い、事前のやり取りで気が乗った時だけにするからこそ楽しいのだと思っている。

まあ、世の中も、人も、なかなか自分の思い通りにはならないということなのだ、自分がどう思っているのかも大事だが相手はどう思っているのかも大事、一方的な考えはおいそれとは通用しない。