2017年9月26日火曜日

映画:「チョコレート・ドーナツ」

アメリカでは2012年に公開されたというこの映画の日本での公開は2014年、だが、私はこの映画については作品の内容を全く知らなかった、観た人の評価も知らなかった、全く予備知識なしでの鑑賞である。


あらすじ:

映画は人形を抱いて夜の街を歩く男の後ろ姿から始まる、自分がどこにいるのか分からなくなってしまったようでその足取りは重い、その男は暗い川にかかる橋の欄干で途方に暮れるのだった。

ある夜のゲイバーではプロのシンガーを夢見る男がステージで歌っていた、名をルディという、そこで客としてやって来たポールと惹かれ合い、出会ったその日に車の中でデキてしまった、ルディはポールが検察官であることを知り、別れ際には名刺を貰った。

アパートに戻ってみると近くの部屋からの音楽がうるさいのでルディは苦情を入れたが逆に罵られてしまう、翌朝家賃を取りにきた大家に叩き起こされたルディは斜向かいの部屋がうるさいのでなんとかしてくれと言うが取り合ってもらえないので自ら部屋に入って音楽を止めた、その時出会ったのが育児放棄されたマルコというダウン症の少年だった、ルディはマルコを放っておけず昨晩出会った名刺を頼りにポールにどうするべきかと案を求めるがつれない態度に失望しアパートへ戻ってしまう、そこでマルコの母親が薬物所持の罪で逮捕されたことを知り、マルコは行政によって保護され施設へ送られることになってしまった。

ところが、保護とは名ばかりの、さも家畜でも追い立てるようにマルコを引き取る様子にルディは不愉快になるとともに不憫さを一層募らせるのだった。

夜に再びゲイバーでルディが歌っているとポールが先般の冷たい態度を詫びに来ていた、ルディはポールを許しお互いの身の上話をし、ポールの車でアパートへ送ってもらう途中で偶然にもマルコが夜の街を歩いているのを目にし驚くのだった、施設から逃げ出したマルコを送り返すには忍びなく、ただ平穏に暮らしたいというささやかなマルコの願いと、それを実現するのが正義だと信じる2人は監護権を得ようと奮闘するのだった。


ただ平穏に暮らし、その日々の中で幸せに生きていたいという願いを持つのは誰しも同じこと、ただ、現実はそう簡単ではなくうまくはいかない、ゲイと障害者というマイノリティに属する人たちではなおのこと難しい、そういう現実に翻弄される人たちを描いたものだった。

ダウン症であるマルコには健康上の問題が少なくないことを納得し、食事に気を配り、単語の綴を教え、おやすみとベッドに寝かしつけ、おはようと朝を迎える、そんな2人の監護権を得たいという心情と努力には理解を示しつつも、杓子定規な法の解釈のもとではそう簡単な話ではないことが実にもどかしい。

また、法廷での判事には多少なりとも私見が混じっているようではあったという感じはする。

2人の監護権取得をなんとしても阻止しようとする敵対弁護士が執拗に2人が公序良俗に反する品行のゲイでありマルコにとって悪影響を与えるので監護権は不適当だと突いてくるのが腹立たしい。

そんな暫定的な監護権下で2人と暮らすマルコが生まれて初めて持ったであろう自分の部屋に入った時に「ぼくのうち?」と背後の2人に訊き、「そうよ、ここがおうちよ」とルディが答えると嬉しさから泣き出すマルコの姿に胸が締め付けられる思いがした。

この映画の結末はどうなるのだろうと考え、何通りもの展開を思い描いてみたのだが、結局は私の予想とは別の終わり方をした、そして、その終盤に登場するシーンのひとつはこの映画の中で既に観た光景であることに気付いたのだった。

どういった光景で、どういう結末なのかはこれから観る人が確かめて欲しい。

映画の締めはポールが監護権獲得の件に関わった人たちへ手紙を送り、ルディはステージで歌っていた、文面がどうだったのか、歌はどうだったのか、これもまた観る人が確かめて欲しい。

ルディ役のアラン・カミングが実に素晴らしかった。

原題は「Any Day Now」、そう、そのうち、いつの日か。