天気予報は大外れ、晴れマークがいつも数時間先に逃げてしまう今日は宵の内に前期の朝ドラは途中で観るのを挫折した友人(2017年3月17日のブログ)と飲んできた、場所は中洲川端駅近くにある年齢層高めな居酒屋。
カウンター席に並んで2人、まずは串焼きに煮込み、焼き魚とサラダのような漬物とビールを中ジョッキ、終日じっとりと蒸し暑い日だったので冷えたビールが旨かった。
あれやこれや話をしながら飲んでいたのだが、ふと、今期の朝ドラは観ているのかと訊けば「おもしろいよ」と言う、うん、私もそう思う、今のところ楽しめている、ドラマ本編だけではなくオープニングクレジットもよくできていて楽しい。
それでもドラマ好きな私のメインは海外ドラマになって久しいが。
そこで、国内ドラマと海外のとはどこが違うのだろうという話になったのだが、死体がまさに死んでいる人のようであるか寝ている人のようなのか、そして、影があるのかないのかの違いではないかという話に行き着いた、まあ、これはかねてからの持論でもあるのだが。
死体については海外ドラマの場合はちゃんと死人役の目線が遥か彼方に合っているし表情も筋肉の張りが失われた感じでリアルだが、国内ドラマの場合は熟睡中か薄目を開けた寝たフリのようで緊迫感が無いのだ。
そして影、国内ドラマでは敢えて影ができないように頑張っているのかあらゆる方向から光が当たっていたりするのが目立つ、時には斜め下から照らしていることさえあるのだ、隅の細部まで明るくて見通しは良いのだが現実には天井一面に照明が設置されている環境以外ではあり得ない、一般家庭の室内での映像でもそんな具合だったりすると違和感を覚える、観ていてチープな感じを受けるのはそのあたりも関係しているのかなという気がする。
影がないと奥行きとリアルさが失われるのは誰もが感じるのではないだろうか。
ふと気がつくと、友人の隣に1人で来ている同年代の男性が時折こちらを見ながらうんうんと頷いて飲んでいるのだった、可笑しい。
カウンターの手元はビールからハイボール、空になった器と入れ替えで豆料理に手作り餃子、そしてサラダのような漬物のお代わりで埋まった、それを肴に友人が「影」で思い出したという先日のことを話してくれた、場所は室見川沿いの河畔にあるベンチ、そこに影があるのかないのかはっきりしない男性が座っていたのだという、橋の上から見下ろした時に気付いたそうで他のベンチの人には短いながら斜め後ろに影が伸びているのだがその男性のははっきりせず、もっと他のベンチの人のを確かめようと目で探し、再び男性に戻すとこちらを見上げていて目が合ったのでドキッとして橋の欄干から後ずさりで離れたのそうだ。
角度や位置といった偶然に他ならぬがなんだか怪談話のようだ。
友人の隣の見知らぬ男性が「怖いよ・・・」と言わんばかりの顔になっていて可笑しくて笑いそうになった。
酒と料理で腹いっぱいになって店を出るとまさかの雨、霧雨のような雨が降っていた、お互い地下鉄に乗れば10分ほどで自宅の最寄り駅に着ける、なるべく濡れるようビルに沿って地下に潜り込み、駅の改札から入ったところで別れて別々のホームへ。
帰宅後すぐに着ているものを洗濯機へ、湿っているし居酒屋の匂いも残っている、明日は予報通り晴れてくれるのだろうか、またいつ見ても晴れマークが数時間先に逃げていたりしなければいいなと思う。