私用があって日も暮れた時刻から大正通り沿いの薬院まで行った、天神まで地下鉄で行き、残りは徒歩で大名と警固を通り抜けた、目的地はほとんど天神の隣町のような距離なので楽なものである、ちなみに「大正通り」は明治通りや昭和通りほどには知られていないが鮮魚市場から薬院大通りまでの南北方向に延びる通りを指す。
込み入った用件でもないので現地には1時間ほどしかいなかった、帰りは来た道を逆に辿るだけである、時刻は休前日なら飲み客で通りも狭くなるであろう午後8時過ぎ、いや、平日であっても大名は更に賑わっているであろう時刻。
警固から国体道路を渡ってコンビニの脇から大名へ入り、なるべく人の少ない通りを選んで天神へ向かった、最初の角を曲がると100mほど進むことになる、その通りは周囲の通りと比べると人が少ない、それでも私と同じように迂回路として使う人やそのあたりの住民が通るので人が絶えることはない。
ところが、私が角を曲がると私の前を歩いていた4人組が左側のビルへと入り、こちらへ向かって歩いていた人が右側へ入り、通りの向こう端へ遠ざかっていた自転車が左へ曲がっていなくなり、後ろを振り返ると後続の人の姿もなく通りは私1人だけとなった。
見えているのは突き当りで直角に合流する通りに並ぶ南北方向の渋滞の車。
無意識に耳にしていた人が歩む音や話し声が消えると大名とはいえこんなに静かなものなのだと驚いた、少し立ち止まってみるとビルの角や標識をくぐり抜ける西寄りの風の音が聞こえていた。
すぐに向かい側から大声で話す集団が私のいる通りに合流し、後ろからは1人だったがこちらへ歩いて来る人がいて、どこかのビルの1階からは笑い声も聞こえてきた。
一瞬の静寂だった。
雨の日など、昼休みでも外に出れぬので教室で遊んでいると、何かの拍子に申し合わせるわけでもなく皆の動きと声が途切れる瞬間があり、うるさいほどだった教室内がフッと静かになる意図せぬシンクロに一同笑いだしたことがあったが、そんな小学生当時の思い出とどこか重なる。
ゴールデンタイムの大名の静寂というのも珍しいが、今のように賑やかな町ではなかった昔の午後8時過ぎといえばこれが当たり前だったのだろうと思う、以前にも書いたが鉄砲町(2012年7月11日のブログ)と呼ばれていた頃などはそうだったのだろう、あの静けさなら幽霊の出没とて納得できる。
今は明る過ぎるし、騒々しくて、夜明けまで出歩く人たちに幽霊だって呆れているかもしれない。