2016年11月2日水曜日

早くも年賀状

年賀状を買うけれど必要なら私の分も一緒に買うから何枚欲しいかと姉から電話が入った、11月に入ったばかりでもう年賀状か、私はまだ先で買うから要らないと伝えた。

ちなみに姉は50枚を買うという、毎年ほぼそのくらい買っていて、色鉛筆で絵を描いて送るのが姉なりの決まりらしい、しょっちゅう顔を合わせている私のところへも毎年元日には配達されている、絵は干支で、その傍に何か描き足している年もある。

姉の場合は絵を描くので早めに年賀状を買ってゆっくり仕上げるということであろう。

私は昔のようには出さなくなった、今では仕事繋がりの人や特に親しかった同級生ばかりで、身近な友人らはもっぱらメッセージや電話、或いは直にお宅訪問という名の押し掛けという場合がほとんどである。

そもそも友人宅の場所は知っているし散々遊びに行ったくせに詳細な住所は知らない人だらけなのだ、「地下鉄の駅からあの道を通って、あそこで曲がって、その先を更に進んで、そしてまた曲がって・・・、でもあそこの正確な住所は何だろう?」、・・・そんな具合である。

一番多く年賀状を出していたのはまだサラリーマンだった頃の最後の年だったような気がする、それでも50通ほど、姉が出す毎年の枚数と変わらない、私の場合はピークでもその程度なのだ。

そんな枚数の中でポツリと同級生宛ての年賀状が戻ってくるものがあった、引っ越してしまったのだろうか、何の音沙汰もないので健在かどうかも不明のままである。

年賀状も含めて季節の便りをメールやメッセージや電話を代替にするというのは味気ない気もするが、他に手段がなかった昔とは違って今ならではの選択肢として私はこれはこれで良いのだと思っている。

さて、私は何枚の年賀状を買おうか、何度か考えてみても20枚でも余るかもしれない、絵も描かないしたったこれだけなので筆ペンの手書きでシンプルにササッと・・・済ませようと努めてはいるが結構ぎっしりと書いてしまう。

筆の流れに流麗さは無い、それが私の年賀状スタイルなのだ。

まあ、これで良し。