今日は家庭ごみの持ち出し日、生ごみではなくペットボトルの日である、基本的に生ごみと同じように夜間に決められた場所へ出しておくのだが、野良猫などが荒らすことがないので皆早めに出している、私も午後10時前には出し終わった。
そうだ、猫だ、いつもこの付近で見かける尻尾の短い濃いグレーの野良猫がいた、人懐っこくて背を低くし呼べばたいてい寄って来てくれる、この猫はメスなのだが少しお腹が大きくなっていたようだ、赤ちゃんがいるのだろう、桜が咲く頃には誰の目にもはっきりと判るほど大きくなっているだろう。
そういえば昨年も同じ頃に赤ちゃんを産んだようだったが・・・いつの間にか赤ちゃんはいなくなり母親であるその猫だけになっていた。
ある日突然姿を消す猫がいる、子猫や老猫の場合なら不運にも病死をしたということも多いのだろうが、人間で言うなら30〜40代といった元気な猫もある日いなくなることがある。
よく「猫は旅に出る」と言われることがある、何かを求めて放浪の旅に出るものはいるかもしれないが、全てが全てそうではないだろう、いなくなった猫たちはいったいどこへ行ったのか不思議である。
・・・と、半年後などにひょいと姿を見せる猫もいる、こういう猫は旅から戻った猫に違いない。
ずっと以前のことだが近くの公園にお気に入りの茶トラの猫がいた、気付くといつのまにか足元に来ていて目を細めてこちらを見上げているのだ、餌を与えるとそこらじゅうに糞をしそうだったので何も与えたことはない、それなのに誰かの傍に寄ってじっとしているのが好きな猫だった。
ある晴れた初夏の日にその公園で茶トラが寄ってくる場所でベンチに腰掛けた、今日はどこからやって来るだろうと見回したが姿が無い、しばらく待ってみたが来ないので旅にでも出たのかなと諦めてその場を離れて公園を横切って帰ろうとした。
ちょうど、園内の清掃をしている係の人が数人いて草を抜いたりごみを集めたりしていたのだが、何気なく見たビニール袋の中に茶トラの腹から下が見えていたので驚いた、上から別の青いビニール袋で覆ってはいたが体の半分は見えていたのだ。
少し顔を寄せて茶トラを見ていると「死んでたので・・・」と清掃の人が教えてくれた、日差しの具合によってはオレンジ色に輝いていたモコモコとした毛並みは水で濡れたような感じでバサバサに荒れていた、後ろ脚はピンと伸びたままで少し泥が付いていて、肉球は白っぽく血の気は無い、命を失うということはこういうことなのだ。
茶トラはある意味旅に出たのだと言える、もう戻って来れぬ旅だったのだ、今でも近所の猫が姿を消すと単にどこかへ行ってしまったのか、あの世に旅立ってしまったのか、どちらなのだろうと考えることはある。
自由奔放で気ままに暮らしているような野良猫にしろ、生きるということはやはり大変なことなのである。