2016年2月20日土曜日

ケガとパイン飴

今日はいつもより早めに仕事を終えた、早々に店を閉めて後片付け、その後は先日書いた通りのお別れ会(2016年2月17日のブログ)となった。

場所は中央区内のメンバーの誰もまだ行ったことのない店、手も口も思い切り汚れそうな料理がわんさと揃う店なのだ、パートさんらがテレビで見たらしく面白そうだし静かな店だとしんみりとしそうなのでそこはどうかと提案があったのだ。

なのでそこにした、皆で楽しめればそれで良いのだ。

聞いていた通りに前掛けなしでは食べれない汚れよう、思い切ったスタイルは楽しかったが味は良くなかった、それでいて料金は高めなので誰にもお薦めはできない、故に店名も紹介しない、まあ、一風変わった店ということで面白味は充分だったが。

そんな手も口の回りもギトギトな中で今日が最後の仕事仲間が昔のことを話してくれた、11年前の出来事で私も忘れられない一件である、そう、その人は初仕事で左の手の甲を切ってしまい数針縫ったのだ、もちろんそんなケガを負っていて仕事などできない、「手袋をしますから」と言われたのだが断った、初仕事はわずか1時間で終わり、その後抜糸が済むまで仕事を休んだのだった。

当時はまだその人は1ヶ月の試用期間中で時給制だった、なので休みが長くなればなるほど給料も少なくなって苦しくなるのだ、なんとしても早く仕事を始めたかったらしいのだが、ケガが治るまではどうあっても厨房には入れなかった、気が焦る日々の思い出らしい。

そしてパイン飴、働き始めて数ヶ月が経った頃、その人は喉の具合が悪いからと仕事中にポケットからパイン飴を取り出して口に放り込んだのだった、そこで私が飴を吐き出させたのだ、厨房に甘いパインの匂いが拡がる上に、飴のせいで味見の感覚が狂うのでダメだと言った、その人は飴を捨てたが「うるさいオヤジだなあ」と思ったらしい、・・・と、今日になって白状した。

どちらも今となっては笑い話である。

これからは少々のケガなら痛くて嫌でも畑に出て働かなくてはならないし、パイン飴は食べ放題だと笑っていた、それと同時に福岡は住みやすく楽しく、できれば離れたくないともポロリと口にした。

確かに、これから先には全く異なる生活が待っている、ご両親が楽に暮らせるように生活を守っていかなくてはならない、あらゆる面で責任は重くなる、ご実家の農業はやりがいのある仕事だろうがいろいろと大変だろう。

幸いなことに体力があり、なにより新生活を始めるには充分若いのだ、間近で顔を見ながら話をするのは今日で一旦終わりとなるが、また何かのついでに近くに来ることがあれば是非立ち寄って元気な顔を見せて近況など話して欲しいところである。