2016年1月15日金曜日

500円の憂鬱

仕事場で漬け込んでいたキャベツの漬物が浅漬けの段階だが食べるに適した頃となったので大量に漬け込んだうちの1/4を姉のところへ持って行った、最近はキャベツが安いので漬物用として躊躇することなくドッと使える、一頃のように1玉300円などという高値の頃では到底無理だが。

姉の所へは午後2時過ぎに到着、夕方に姪っ子が来るらしく煮物を用意するとかで里芋の皮を剥いていた、しばらく話をしていると普段立ち寄るスーパーを出たところで500円を落としたというのだ、お釣りの中の500円硬貨をである。

小銭入れに入れようとする手からスルッと落ちてコンクリ地にチーンと当たる音は聞こえたのだが足元には見当たらず、どこかへ転がったのかと辺りを調べてみても見つからなかったという、狐につままれたようだと里芋の皮を剥きながら笑う。

聞かされたこちらは仰天、過去にも書いたことがあるが私は今まで一度もお金を落としたことがない、落下はさせたことはあるがすぐに拾っている、なので正しくは落としたことがないのではなく失ったことはないのだ。

お金を落として失ってしまうなど私にとってはとんでもないことなのである。

どうして店内で小銭入れに入れてから外へ出なかったのかと言うと特に何も考えずそうしたと答えてまた笑う。

うわ、500円を失ったのか、500円を稼ぐにも時間と労力は必要なのだぞ、聞いたこちらが落ち込んでしまった。

これが自分のことで失ったのが風にでも煽られて飛んで行った1,000円札だったらと想像してみる・・・、私はきっと熱を出して寝込むに違いない、では5,000円札だったら? ・・・きっと昏睡状態に陥ると思う、10,000円札ならばいきなり白骨化だろう。

それにしてもコンクリ地に落ちて音がした500円硬貨、いったいどこへ転がって行ったものか、昨年のクリスマスに書いた鬼(2015年12月25日のブログ)の仕業なのか、隠し鬼は後からちゃんと返してくれるのだが、同じスーパーを出たあたりで返して貰ったとしてもまるで他人が落とした500円を見つけて拾っているみたいである。

里芋の皮を剥くのは面倒だと言いつつも姉は米の研ぎ汁で下茹でする準備に移っていた。

ああ、500円、勿体無い。