2016年1月7日木曜日

奇跡の1枚

某アプリで繋がっている友人とメッセージをやりとりをしていて派手に笑ってしまった、その人はアプリ上でプロフィール画像として3枚を載せているのだが、それを見た人から「すみません、1枚目と3枚目は同じあなたなのですか?」と訊かれたらしい。

確かに1枚目と3枚目では随分と印象が違うのだ、1枚目のほうが遥かに上で見た目が大変良いのだ、実は過去に私も内心そう思ったことはあるのだが指摘などはしなかった、そもそも私自身がパッとしないのに人様のことをとやかく指摘できるわけがない。

ちなみに2枚目はどうなのだといえば、1枚目と3枚目の中間のような感じで、それら前後と比べても違和感は無い。

さて、同じあなたなのかと訊かれた友人は「そうです」と答えたが、それに対する反応は返ってこなかったという、友人はその1枚目を自ら奇跡の1枚だと言った。

何気なく撮った画像が図らずも実際にも増して魅力的に写ったという経験は多くの人にあるのではないだろうか、意図的に撮ろうとしてもなかなか難しいのに、狙わずに撮ると撮れてしまうというのは皮肉なものである。

そういう画像はひっそりと蔵の中にでもしまいこんでおくもよし、ほらどうだと飾ってみるのもよし、ただ、難しいのは会ったことが一度も無い人にプロフィール画像として見せてしまうと、いつか先でオフ会などで実際に会う時がくれば・・・もしかすると「あなた誰?」ということにもなりかねない。

奇跡の1枚の使い方は意外と難しい、理想はいつだれがどんな場面で撮っても同じように写ることだが、生身の人間なので虫の居所が悪かったりでいつも同じ表情というわけにもいかない。

それでも捨てられず手元に残る奇跡の1枚、さて、私にはそんな画像はあっただろうか。

いや、遡ってみても記憶には仏頂面ばかりなので現時点までには私には奇跡は起こっていないのだ。

私の友人にはカメラ好きな人が多い、花鳥風月も良いけれど、そんな私の1枚、不意打ちで撮れるものなら撮ってみろ。>カメラ小僧(死語)な友人たち