2015年12月10日木曜日

Jホラー

いつの頃からか日本の怖いドラマや映画をそう呼ぶようになった、怪談というカテゴリーを超えた怖い物語に基づいた映像作品全般を指している。

ちょうど中田秀夫監督による「女優霊」あたりがJホラーという言葉の登場時期ではなかっただろうか、仕掛人は一瀬隆重氏だろう、手斧やチェーンソーを振り回したり人肉を求めて死者が徘徊するような血みどろのスプラッターに終始する作品とは一線を画すもので、心理的な怖さで着衣に水が滲みてくるような、心の芯を捩じるような怖さが特徴である。

その金字塔とも言える作品は誰もが知っているであろう貞子が登場する「リング」であり、伽倻子が登場する「呪怨」でもある、なんと、Jホラーを代表するその2大怨霊が共演するという話をネットで今日知った、驚きであると同時にどういった内容になるのか興味はあるし、実は気がかりでもある。

昔だったら当時の2大怨霊の代表であるお岩(四谷怪談)とお露(牡丹燈籠)の共演などたぶん誰も思いつかなかっただろう(あったのかもしれないが)、今は成り立ちの異なる物語の垣根を越えてさえ斬新なアイデアが現実化できる時代だということなのだと思う。

そういえば小学生の頃にゴジラとガメラが対決したらどちらが強いのだろうと掃除の時間に仲間と騒いでいたのを思い出す、「放射能を吐くのでゴジラが強い」、「いや、空を飛べるのでガメラが強い」と盛り上がる男子に対して「東宝のほうが大きな会社だからゴジラの勝ち、だから早く掃除して!」という女子の冷水発言でシラケてしまった思い出がある。

・・・女の子は男の子よりもマセていて早い内から現実的なのだ。


閑話休題


そんなJホラーにはあまり知られていないが本当に怖いものは他にもある、たとえば「邪願霊」、女性レポーターを演じる女優の演技はヘタだがラスト数秒の映像は鳥肌ものだった、怖さがグサリと突き刺さるような思いのせいか古いVシネマなれど忘れられない作品となっている。

黒沢清監督の「CURE」、「回路」、「叫」なども観終わった後にも陰鬱さと怖さが頭にずっと残っている、この監督の作品はいつも独特な雰囲気に満ちていて他の誰にも真似できないと思う、他にはカテゴリ的にはミステリーでありホラーではないが横溝正史の「悪魔の手毬唄」も外せない、山陽を舞台とした緑深き架空の村の古い時代と人々の織りなす空気感はなんともいえないものがある、テレビ版(1977年版)と劇場版のどちらも甲乙つけがたい作品に仕上がっているのも珍しい。

それと、純粋なテレビ向けの番組にもこれがテレビ番組なのかと思えるほどの質を持ったものも多い、関西テレビの「学校の怪談」シリーズはその代表だと思う、「学校の怪談f」の中の「霊ビデオ」や「学校の怪談 春の物の怪スペシャル」の中の「花子さん」は特筆すべきものがある、闇夜や森や建物の暗い奥を見つめる時の怖さなのだ、ああ、怖い。

中田秀夫、高橋洋、小中千昭、黒沢清、清水崇、こういった人たちあってのJホラー、貞子と伽倻子の共演がそれら開拓者の偉業を壊してしまわぬよう願うばかり。

気がかりな点とは、そこなのである。