2017年6月9日金曜日

人の頭を追う理由

夕方に護国神社側から舞鶴公園に入ったあたりで群れて飛ぶ小さな虫に出くわした、どう見てもユスリカである、蚊のようでいて蚊ではない、成虫になってからは飲まず食わずの僅か数日で死んでしまう儚い虫だ。

そう、水さえ吸わない、そもそも吸うための口器が無いのだ。

今日見た群れは数も少なく小さな群れだったが、過去には塊のように群れる大群に付き纏われたこともある、ユスリカの蚊柱でなぜだか頭の上で群れ、私の歩みに合わせて付いてくるのだった、必ず一定の距離以上を保ったまま頭の上にいてくれるならよいのだが、時折顔にぶつかってくることもあり目に入ったりもする、虫嫌いな人には憂鬱なことだろう。

それ以前に歩いている人の頭の上に蚊柱がついてくるというのは傍で見ている人にとっては可笑しな光景である、「あ、ほらほら、あの人の頭の上に虫の群れが・・・」といった感じだろうか。

ユスリカはなぜ人の頭を追うのだろう、諸説あるが蚊柱は何かの目印を基点として形成されるという説が有力である、その説に沿えば人の頭が目印となった場合に蚊柱に付き纏われることになる、適当にそのあたりで群れてくれればよいものを、なんだか不思議である。

いつだったか大きな蚊柱に付き纏われたキャンプ中の子供らがパニックになって大人が殺虫剤で対処したという話を聞いたことがある、「こんな大群に子供が刺されたら大変」と慌てたらしい、だが、先に書いた通りユスリカの成虫は飲まず食わずなのだ、もちろん刺したりなどしない。

今日歩いた舞鶴公園や隣の小学校、中学校、裁判所のあたりには濠に繋がる水路がある、きれいで鯉でも泳ぐような水路なら人も集まるだろうが実際はそうでないのが残念、何の泡か知らぬが泡だらけになっていたこともある、清流とまではいかずとも、きれいな水辺だったらなと思う。

ユスリカの蚊柱は付いてくるので鬱陶しいが血を求めて刺される心配はない、その点はご安心を。>水辺の散歩人