2017年6月26日月曜日
映画:「A.I. Artificial Intelligence」
公開当時はそのうち観に行こうと思いつつ機会を逃してしまった映画、スティーブン・スピルバーグ監督に天才子役として名を馳せたハーレイ・ジョエル・オスメントが主役というだけで観たいと思ってしまうではないか、制作にはスタンリー・キューブリックも絡んでいるというし。
今日じっくりと観たのはNetflixである。
あらすじ:
物語の舞台は環境破壊により大きく変貌してしまった未来の世界、地球温暖化で海面水位は上昇し居住可能な地を失った人類は人口増を制限する目的で妊娠を許可制にするという策を設けることとなった、一方で社会の質の維持に人手は欠かせない、そこで人類にとって不可欠な資源を侵さぬ様々なロボットたちが製造され活躍するに至った。
そんな世界でのある夫婦には重い病により効果的な治療法が見つかるまで低温休眠状態となったままの一人息子がいる、回復の見込みもない息子に心を痛める妻を見かねて夫は子供型ロボットを導入、突然の事に激しく反発する妻ではあったが次第に情が湧き親子の絆を結ぶ手順を踏み自分が母親だと認識させる。
ところが間もなく皮肉な奇跡が訪れる、休眠状態だった我が子の治療が成功し回復したのだ、母親は実の息子の傍らのロボットを次第に疎ましく思い始め、罪悪感に駆られつつもついには車で連れ出し遠くの森の中へ置き去りにしてしまうのだった。
捨てられた子供型ロボットは失意に暮れつつもいつかピノキオのように本物の人間の子供になり再び母親に愛されるための術を探し始めるのだった。
必要だと思えば手に入れ、不用になれば捨ててしまう、人間の自己都合で右へ左へと振り回されるロボットたちの哀れさは架空の未来だけのものではない、ペット然り、人気のおもちゃ然り、現在のこの世にそのまま通じる事例はたくさんあるものだ。
なおも悲しいのは子供型ロボットが単なる機械ではなく、自分を置き去りにする母親に泣いて縋る感情を持っていることが見ていて痛いほど切ない。
様々な出会いと放浪の果てに子供型ロボットは自分なりの結論を手に入れることになる、この映画の結末がハッピーエンドなのかバッドエンドなのかは見る人によって解釈が変わるだろう、私には悲しかったがそれでもハッピーエンドだったのだとは思いたい。
子供型ロボットと行動を共にする男性型ロボットと熊のロボットの存在がとても良い、男性型ロボットは人間に着せられた殺人の濡れ衣で警察に追われる身だった、結局見つかり捕われてしまうのだが、収容される間際に子供型ロボットに残す言葉が「僕は生きた!そして消える!」、この短い言葉に託された思いがこの映画で描かれている諸々のテーマなのだと思う。
生きる意味や幸せについていろいろと考えさせられる映画だった。