2016年12月4日日曜日

新聞は今年いっぱいまで

仕事場でとっていた朝刊を今年いっぱいで止めることにした、置いておけば誰かが読むだろうという程度だった朝刊、私もたいして読まないのだが他の人たちもそのようだ。

パートさんらは新聞の記事よりも折り込みチラシに興味があるようだし、そのチラシも最近ではスマホの専用アプリで近所の店をお気に入り登録しているというではないか、アプリだと割り引きクーポンも貰えるそうだし、いよいよ朝刊の間に挟まっている紙のチラシである必要はなくなる。

私は以前は地元新聞社の西日本新聞をとっていたがかなり前に止めてしまった、私はニュースのソースとしてテレビではなくネットを選んだのだった、刻々と更新されるネットでの情報のほうが早くて誤りがあったとしても訂正も早い、何かの事件や事故の経過だって1日待たずとも自分の時間の都合に合わせて得られる便利さは毎朝の新聞では無理なこと、私にはこちらのほうが便利だったのだ。

私の次は実家が新聞を止めた、姪っ子は勤務先の休憩室に置いてある読売新聞の番組欄を眺める程度という、ニュースはテレビで知るのが楽でいいらしい。

新聞の販売部数が減っているという話はネットでも上がっていて知ってはいたが、いざ自分が購読を止めるとなると「こうやって減ってゆくのだな」とはっきり意識するようになる。

「新聞止めると古新聞はどうなるの?」とパートさんに訊かれた、仕事場では油汚れの酷いものは古新聞で拭ってから洗うようにしている、日に1面や2面分などではない、その日の朝刊を全て使い切るほどしっかり使っている。

そうだ、古新聞、うちではちゃんと使い道があるのだ、そこでほぼ毎日顔を合わせる近所のお馴染みさんに「お宅の職場で古新聞が出るならくれないか」とお願いしたところ、日に日経新聞が2部ずつ溜まるので好きなだけどうぞと言ってくれたのでご好意に甘えて頂戴することにした、ありがたや。

実は実家町内のリサイクル用のごみ収集も昔ほどの古新聞は集まらない、昔は床面積1畳サイズの物置き2戸に1ヶ月分を収めていたのだが、今は上手に詰め込めば1戸で済むようになった。

新聞を読む人は減っている、それが良いのか悪いのかは全く考えたことはない、購読を止めた人たちが新聞に価値を見出さなくなったか、代替の手段であるテレビやネットを選択しているだけなのだと思うからである。

ところで、購読を止めると年間で購読料の4万円弱が浮くことになる、この額は意外と大きい、何に使おうかと最後の配達が終わる前から考えてみたりもしている。

・・・とはいうものの、使わずに銀行口座の残高の一部になっているに1票、そんなところである。