まだ赤ちゃんだった私を抱っこしてよく那珂川の近くを散歩し景色を見せたり水鳥を指差して数えたりであやしてくれていたという人が実家町内にいる(私は全く覚えていない)、今月末で一家で引っ越しをするということでその息子さんが夕方になって挨拶に来られた。
その人はもう八十路で体はまだ元気ながら認知症のため会話もままならない状態、だが、家族で世話をしているので施設などとは縁がない、引っ越し先となる市内西区のお宅でも皆で同じように暮らしてゆくらしい。
息子さんとは長話になったが、その中で少し不思議な話を聞いた。
そのお爺さんの認知症はわりと早い時期に始まり、今のような状態になってもう10年は経つのだが、そういう状態になってからは日付や時間の感覚が無くなり新しい記憶などが保持できなくなってしまったけれど、毎年のこの時期=夏越祭の頃になると「善ちゃんは帰ってくる?」と訊くのだと言う。
善ちゃんとは昭和47年に事故で亡くなったお爺さんの弟さんなのだ。
「もう帰って来ないよ」と息子さんが言うと返事もせず黙ったままになるのだが、また翌年の夏越祭が近くなると同じことを訊くらしい、弟さんとはよく住吉神社の夏越祭(名越大祭)に行ったらしく、弟さんが亡くなったのも夏越祭のすぐ後だったそうで、毎夏のこの時期というのも、もしかするとその夏越祭の記憶が強く残っているからではないだろうかと息子さんは言う。
私もそうかもしれないなと思う。
認知症になってからも家族揃って住吉神社の夏越祭に行けば、家族が押す車椅子に乗ったお爺さんは辺りを通り過ぎる人たちの顔をじっと確認するように見回しているのだという、弟さんを探しているのだろうか。
西区へ引っ越すのは今月末の土曜日、息子さんの仕事の都合で日曜日は時間的に難しいそうだ、息子さんは日曜の昼から他の家族を残して仕事で2週間ほど家を空けることになる。
土曜日といえば奇しくも・・・いや、単なる偶然なのだが住吉神社の夏越祭が7月30日から8月1日で、その初日なのである、今年は引っ越し作業のせいで行けないのだろう。
お爺さんの記憶の中には生きている弟さんとはどんな人だったのだろう、一緒に行った夏越祭はどんなだったのだろう、カレンダーで青い文字でプリントされている今月の30日の枠を眺めながら物思いに耽る宵の内だった。