2016年6月19日日曜日

父の日

今日は父の日だった、特に意識していなかったので気が付かなかったのだが、スマホのアプリで繋がっている人たちからメッセージが届いていたので父の日であることを思い出した次第。

その中のひとりからは「私の父にしては若すぎるけど一応お祝いメッセージを」と書いてあった、確かに、そのメッセージをくれた彼は39歳だ、私とは13歳違いなので父親というには若すぎる、それでもメッセージを思い立ったのは私が彼の抱く父親像と世代とが重なっていたからではないだろうか。

居住地があまりにも遠く、彼とは直に会って話をしたことはない、やりとりと言えばメッセージか通話アプリで時々話すくらいなのだ。

頑固で威厳があり、口数は少なくどっしりと構えた昔風の怒ると怖い父親、彼は以前に年上の男についての理想像を語ってくれた、きっと年代やメッセージの内容などから私がそれに近い男であると思っているのだと思う、でもまあ、結果から言うとそれは錯誤だ、実態は彼の想像とは随分と異なっていると私自身は思っている。

私は父の日というものを祝ったことがない、父親が早くに他界したというせいもあるが、存命中だった頃は父の日という日は既にあったのかもしれないが存在そのものを知らなかったような気がする、なので父が亡くなる私が17歳まで特別に何かをするということなど全く無かったのだ。

今でこそ父の日は皆に知られ、当たり前のようにお祝いごとをするようにはなっているけれど。

またしても思う、今現在も父が生きていたなら今の私はどうなっていただろう、「ちゃんと大学には行けよ」と私の将来を楽しみにしていた通りに大学へ進み、幼い頃からなりたかった医者になっていたら、今の私は何か違っていただろうかと考えてみることがある。

10代の前半で自分がゲイであることを自覚したので女性と結婚して家庭を持つということは無かっただろう、その点は間違いなく今現在の私と同じだと思う。

アプリに届いていた父の日のメッセージ、どう返信してよいのやらいろいろと考えたが、結局素直に「どうもありがとう」と他に一言を足して返した、気に留めて貰えていたことが本当にありがたいからである。

私は52歳、あと2歳で父の享年に追いついてしまう、もし父が今の私をどこからか見ていたらどう思っているだろう、先に亡くなった祖父や祖母と並んで「ほら、あいつ、バカだなあ」などと笑っていてくれるだろうか。

後から亡くなった母や姉とも並んで一緒に。

そこで私も思い立って私よりも年上の人に父の日のメッセージを送ってみた、するとどうだろう「どうした、気持ち悪い」と返ってきたではないか。

ううむ、返ってきたメッセージに苦笑しながらも、私をよく理解している人だというのがよくわかった、これはこれで嬉しい気がした。