2016年5月31日火曜日

「優しそう」と「優しい」は別

某氏が語る好きな人物像はとにかく「優しい人」であることだと言う、知り合って時間が経てばおのずと内面が知れるのでどんな人なのかも分かってくるが、初対面や、まだ知り合って間もない人ならばそうもいかない、なので親しくなりたい相手ならばしばらく時間を置いて観察してみることになる。

しかし世の中せっかちな人もいるもので、すぐにでも結果が欲しくて相手の見た目だけに頼ってしまう人もいる、某氏の場合だとそこで判断するのが「優しそうな人」であるか否かという点。

某氏はタレ目で笑顔の人は優しそうだと断言する、そう、見た目のイメージとしては確かに優しそうに見えるかもしれないが、紛うことなかれそれはあくまで見た目だけなのだ、ただ単にタレ目の人が笑顔なだけという状態を見ているに過ぎない、見た目がそうだからといって優しさが約束されるわけでもない。

つまりは優しそうであることと、優しいことは別なことなのだ、この基本的な部分を認識していない大人もいて、相手の見た目優先で惹かれて泣いている人もいる、実は某氏も過去に泣いたことがあるらしい。

かくいう私も泣いたことがある、まだ若い10代の終わり頃や20代前半という頃のことで、反省も含めていろいろと凝りたのでそれ以来見た目で惚れてしまうことは一切無くなった。

優しそうな人が優しいと驚かないが、優しくなければ急に夢から目が覚めてギョッとするかもしれない、逆に、優しくなさそうな人が優しくても別の意味で目が覚めてギョッとする、世の中には強面でも本当に優しい人はいくらでもいる、酸いも甘いも噛み分けの利く年代ならば相手の見た目は参考程度に抑えて接するのが良いのではと思う。

・・・と、私は思っている、実は残念なことに某氏と私はそれほど親しいわけではない、今日の夕方に数人集まったメシ仲間の間では一番縁遠い端と端なのだ、某氏はその数人の中で最も親しいのであろう人に今書いてきたことを相談していたのだが、私はそのやりとりをまさに傍観しているのみだった。

ううむ、私に意見を求めてくれればとチラッとは思ったが、私はタレ目でもないので優しく見えないのでチクリとでも言われるのを避けたのだろうか、決して「どう思う?」などとは求めて来なかった。

優しさとは別になるが、いつだったかテレビのトーク番組で漫画家の楳図かずお氏が「美しい人が怖い」とご自身で描いた美しい女性が刃物を振りかざすイラストを見せながら持論を展開されていた。

そうだ、今日の「優しそうな人」の話とどこか重なる部分がある、もちろん優しそうな人が優しかったということではなく、予想とは違って優しくなかったという例においてではあるけれど。

もう一度書くが、見た目は参考程度なのだ、いずれ内面が見た目を追い越す時がやって来る、慌てず急がずそれを待つのも良いのではないだろうか。