もうすっかり初夏の降り方をする雨はそこそこの雨脚で午前中の休憩時間はお茶をすすりながら窓辺から外を眺めていた、傘を差して歩いているサラリーマンの背中が濡れている、傘が小さいか風のせいだろうか。
ふと、なんだか左肘のあたりがむず痒いので見てみると6cmほどの長さで傷ができていた。
尖ったものでサーッと引っ掻いたようなごく細い傷、薄っすらと血が滲んでいた、痛みというほどのものはなく、ただむず痒いのだ。
おや、いつの間に・・・と考えてみれば先程までの食材の仕込みか食器のアルコール拭きの最中か、それくらいしか思い当たらない。
まあよい、水で流してキッチンペーパーで拭き、そこへアルコールをシュッと噴霧、滲みたがすぐに血は止まって赤い線の痕だけが残った。
ふと、経験はないが不思議な話としての「かまいたち」を思い出した、最初にその言葉を知ったのは小学生の頃ではなかったか、草むらを歩いていると突如として鎌で切ったような傷ができるという現象で、その原因としては鋸歯のある草のせいや、一瞬生まれた真空のせいだと諸説が書かれてあったのを記憶している。
もちろん、本当にイタチが鎌を持って走り回っているわけではない。
私はその話がとても興味深く、それでいて怖かったので夏休みの虫取りは「もしかしたら『かまいたち』にやられはしないか」と怯えながら草むらで遊んでいたことがある、幸いにもそんな事は起きず、代わりに思い切り草負けで痒い思いをしたことは何度もあるのだが。
父に訊いてみたことがある、「かまいたちでケガをしたことがある人はいるのか?(町内に)」、すると父は「いる、箱屋(段ボールなどの梱包資材を扱う会社)の人がケガをした」、箱屋の誰とは言わなかったが私は事務の女性だと直感した、いつも片足を引きずっていたからである。
数日後、その女性が通りを歩いているのを見掛け、かまいたちの件を思い出して悪い方の足をじっと見ていた、もちろん「それはかまいたちのせいなのですか?」などとは訊きはしないが。
訊いていても「はあ?」という反応だったろうし。
父は子供の私をからかっただけである、それに気付くまでは数年を要したけれど。
左肘の赤い引っ掻き傷を見て、むず痒さに合わせて当時の風景や父の顔を思い出して懐かしさに耽っていた。
しっかりとした雨音が聞こえる、そんな午前中の休憩時間のことである。