2016年5月29日日曜日

「なんとかなる」は若い内だけ

結局、バナナが原因で短期家出をした友人(2016年5月26日のブログ)は今日の夕方帰って行った、「また何か起きたらよろしく」と笑っていたが勘弁願いたいところである、バナナが原因で数日なら、もっと大事件なら数週間に及びそうで怖い。

さて、そんな夕方は一区切りとして遅めの昼メシ代わりで部屋でお好み焼きを作って一緒に食ったのだが、その時に共通の知人の話を聞いて少なからず衝撃を受けた。

年齢不詳だが私とさほど違わないはずの市内に住むK氏、かれこれ30年ほど前に知り合ったのだが何かと波長が合わずに親しくなれないまま顔を合わせれば挨拶をする程度の仲に留まっていた。

K氏は派手好みだ、金使いも派手というよりも荒い、若い子らを数人連れて飲み屋の梯子などザラで、卵1パックがよそより10円安いからとわざわざ遠くのスーパーまで行く私とは随分な違いである。

いつだったかK氏と飲み屋で偶然居合わせたある日、車検に金を掛けるくらいなら新車を買うと毎年車を新調していると笑って言うので仰天したことがある、「勿体無い、無駄な分を貯めれば相当な額になる」と言ったところ「君は金に細かいね、女ならいい奥さんになれるだろうなぁ」と笑われたこともあったのだ。

日頃の交流は無い、連絡先の交換などもしていない、なので顔を合わせるまではどんな状態なのかを知る術が無い、いや、それ以前に現在どう暮らしているのかなど気に留めたこともない、それはK氏にしてみても同じだろう。

お好み焼きをつつきながら友人が言うには順調だった仕事がうまくゆかなくなり、金に困るようになって車から住まいまで手放してしまって2年は経つのだという、今は質素に暮らしていると言うではないか。

想像もできないことである、週に8日は飲みに出かけているのではないかと思うくらい豪遊していた人だというのに。

K氏本人が言うにはこういう事態になるとは夢にも思っていなかったから蓄えなども無いらしい、それでもK氏は「ま、なんとかなる」と楽観的だそうだ。

どうだろう、個人的にだが困窮した時に「なんとかなる」と流れに身を任せて難を逃れきれるのは若い内だけだと思っている、若い時とそれなりの年齢になってからでは何が違うのかと訊かれると具体的にこれとこれが違うとは明言できないのだけれど。

若い内は何か運のようなものが守ってくれることがある、運でなければ親だったり人生の先輩といった人の力が助けてくれる、だが、歳を重ねるとそういった庇護が薄れるか切れてしまう気がしている、「そんな歳にもなって、自分のことは自分でやれ」というこの世の仕組みなのだと思う、では、歳をとるとお先真っ暗かと言えばそうではない、運の代わりに経験や備えがものを言うのだと思う。

では、何も備えてこなかった人はどうなるのか? ・・・ううむ、どうなるのだろう、きっと相当苦しむのだと思う。

K氏はちゃんと乗りきれるのだろうか、好きな人ではないがその点が気にかかる、離れたところに親御さんもご健在だと聞いた、自分の生活のみならず親御さんの生活も見なくてはならないだろうし。

仮に私と同い年とすれば52歳か、世間の逆風をまともに受けるには冷たさが一層身に沁みる年齢のはずである。

K氏を反面教師にして・・・と言えば語弊があるかもしれないが、とにかく私ももっと備えることにしようと思う。